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2012.05.29 5月29日


南無妙法蓮華経

本日は休日ということで、内山さんのお宅でゆっくりさせていただいた。
ということで、起床もいつもの4時から6時だったのが、やはり皆時間通りに寝ていることはできないようで、早くて3時、遅くても5時には順次起きていた。

朝のご挨拶をしてから朝食をいただき、それぞれに過ごした。

ある人は町に出かけ、ある人は家で過ごし、それでも午後6時には御挨拶をするのでお宅に戻るということにして、それぞれに動き出した。

泉上人様と二人で、佐藤上人様の足りなくなった名刺を注文するために、業者の方と富山駅北口で待ち合わせをした。

最新型の路面電車に乗り、10分ほどで富山駅北口に着いた。

先に電話で連絡を取っていたので、待ち合わせ場所に着くと業者の方は待っていてくれた。

この道60年の年配の女性の方だったけれど、こちらの要求を聞きながら、より良い名刺になるにはどうしたらいいか、というアイディアを出して下さり、話をしていてもこちらの要求に答えながら、どうすべきかを細かいところまでしっかりと聞いて、丁寧に教えて下さった。

その方曰く、「ただ単に、機械的に要求されたとおりに作り上げた後で、ここは違う、となっても後の祭りだし、もらった相手がわかりやすい名刺を作ることで、喜んでもらえばこちらも嬉しい。」とお話しして下さって、相手の立場になって考えて仕事をしてきたからこそのノウハウがあり、それを生かそうとする仕事に対する姿勢に感動した。

注文した名刺は明日の午後6時に出来上がるとのことで、その方曰く「泉上人様になったつもりで作りますから。」と言って下さった。

明日は北陸電力前で、朝8時から夕方5時までいつも通りのお断食祈念。

ここでは毎週水曜日に、地元のお年寄りが12時から5時まで座り込みをしているというので、それに混ぜていただく。

今日は、皆それぞれに休日を過ごしたので、余裕というか、気持ちにゆとりが生まれて、皆穏やかになった気がした(笑)。
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2012.05.28 5月28日


南無妙法蓮華経

真成寺様の朝のお勤めが5時からだということで、皆で参加させて頂き、その後食事や後片付けをして7時に真成寺様を出発した。

出がけにいつもの通り記念写真を撮り、出発の時にぽつぽつ降ってきたけれど、歩き出すと次第に強くなってきて、伴走車からそれぞれに合羽や傘を取出し、また歩き出すとゴロゴロと雷が鳴り、雨も激しくなってきた。

それでも、雨の降りは昼ごろまでで、その後は晴れて暑くなってきた。

その後は曇り空で雷も鳴って、今にも雨が降り出しそうだったけれど何とか降られずに済んで、富山県庁、富山市役所に請願書を持っていくと、県庁ではいきなり警備員と一人の職員が出てきて、「敷地内では太鼓もプラカードも禁止だから。」と強い調子で言ってきたので、その時点では太鼓も叩いてはおらず、話が伝わってなかったのか「アポイントは取ったのか?」と聞かれ、連絡してあることは伝えたけれど、今度はこちらの名刺を出せ、というのでこちらは出して逆に名刺を求めると、そのままにしようとするので、人として大変失礼な態度であることを話したけれど、その方は、担当の方が来るのと入れ違いに、建物の中に入ってしまい、担当の方にどういうことかを尋ねると、失礼をお詫びされたけれど、別に批判や避難をしに来たわけではないので、請願書を読み上げ、担当の方に資料などをお渡ししてから、先ほどのこちらの言葉づかいをお詫びし、どういう行進かを改めて説明するとご理解いただいて、先ほど建物に入っていった男性職員も戻ってこられ、名刺を渡して下さったので、「先ほどは失礼しました。」と声をかけると、硬い表情を崩さずに、先ほどと同じように、「敷地内での太鼓などの音やプラカードは禁止である。」ということを話していた。

県庁では、なんだか対応の方々が怖がっている印象があって、すぐそばの市役所に行ってみると、玄関先に二人の男性職員が待っていて下さり、玄関先での対応を受けたけれども・・・。

いつも通り、請願書を読み上げて資料とともに手渡したのだけれども、こちらからの「エネルギー政策に対しての市長さんの見解をお聞きしたい、と伝えたけれど、何とも要領を得ず、大まかですら答えられない様子に、こちらもドンドン追い詰めようと思っているわけではないのだけれど、あまりにも日和見というか、市長の代わりに我々の応対に出てきているのだから、分らない、とか、よく知らないという返事をしているのではあまりにも無責任だと思い、「別に攻めに来たわけわけではないいんですよ。」と言いながらも、担当者としての責任はあるわけだから、そこはあくまでも市民の皆様の生活を守る立場だから、その責任を果たすために、国や県の方針を待ってから動くのではあまりにおそいのでは?ということをお話しし、また、自分は恥ずかしながら、このたびの震災で日本に54基の原発があることに気が付かなかったけれど、こうして歩いて、色々な人から情報をいただき、本当のことがわかってきたのだから、市民を守る立場として、ぜひ一緒に頑張りましょう、とお話をして請願書を資料をお渡しすると、ホッとしたようで、表情が緩んで汗をぬぐっていたのが印象的だった。

我々が帰るときには、警備員が2名、ずっとこちらを気にしていて、よほど危ない連中だと思われたようだった。

後から、ほかの方から聞いたら、玄関の中には10名ほどの職員の方が、こちらを見ていたそうで、いずれにせよ、かなり警戒されていたみたいだった。

今夜から日本山のご信者である内山さんのお宅に3日間お世話になる。

今晩はYMCAで歓迎会があるとのことで、先にお風呂に行き、汗を流してから7時に出かけて自己紹介かたがたお話をした。
2012.05.27 5月27日

南無妙法蓮華経

妙輪寺様を6時半に出発した。

朝のお勤めを佐野川妙仙法尼様とご一緒にさせていただき、出がけに、例によって皆さんで記念撮影をしてお寺から歩き出した。

入善町役場に到着して、いつものように請願書をお渡ししたけれど、今日は日曜日なので日直の方しかおらず、請願書や資料などをお渡しした後、日直の方としばらくお話をしたけれど、その男性の方は真剣に話を聞いて下さり、こちらも伝えたいことをお話ししたのでよかった。

その時、ちょうど玄関先ではこの町内で行われている、「歩こう会」の皆さんが集まっていたので、我々も話しかけたりしながら少しだけ交流したけれど、その中で、一人の年配の男性が役場のトイレを借りて、室内で座っていたので、その方に署名用紙を渡して、署名してもらおうとすると、その方曰く、「原発には反対だけど、今すぐ廃炉にはできないし・・・。」ということで、署名はもらえなかった。

個人的に、色々感じていることはあるようだけど、それぞれに話されることは、元となる情報がすでに古く、正直なところ、「まだそんな情報を信じているのか?」という気もするけれど、そういう方に限って「中立」という立場を主張したりする。

時間はかかるけれど、分ってもらえるように、少しずつ話していくしかない。

でも、話というのは聞いてもらえて初めて成立するもので…。

本日の最後にお邪魔した、魚津市役所も、日直の女性二人が迎えて下さったけれども、そこでの対応がとても印象的で・・・。

あちらも請願書を受け取ればいいだけだと思っていたようで、こちらが、魚津市長さんのエネルギー政策に対する態度はどのようなものかを、分る範囲でお聞きしたいというと、日直のお一人が、「わかりませ~ん。」と語尾を上げていうのだった。

「責めているわけじゃないんですよ。」と言いながら、話を続けたかったのだけど、何か言うたびに「下っ端で、何もわからなくてごめんなさ~い。」とまたしても語尾を上げていうので、戦意喪失、というか何も言えなくなって、謝っているようで、真っ向から拒絶されるという新しい経験をして、次回、そんな方と直面した時に、」今後の課題としたい(苦笑)。
2012.05.26 5月26日


南無妙法蓮華経

光徳寺様の朝勤が6時半からで、その後に檀家さんがお集まりになり、毎朝勉強会をされているということで、出かける前に参加させていただき、自己紹介方々お話をさせていただいた。

ご住職様は44歳とまだお若いけれど、しっかりとした信念や感性をお持ちで、我々を受け入れて下さる柔軟性もあり、一言一言に含蓄があり、お話していてとても勉強になった。

檀家の方お二人も普段からお寺に来られていて、日ごろの深いおつきあいの様子が見て取れた。

日本海を望む道沿いに歩き、穏やかな海の様子を眼下に見下ろしながら、大型トラックがビュンビュン走り抜ける中を気を付けながら歩いた。

いい天気で、歩いても汗をかくほどでもないので、歩いていて気持ちがいい。

新潟からいよいよ富山に入り、なんとなく雰囲気も変わり、町の人もどんな感じかと思ったら、太鼓の音を聞きつけて外に出てきても、我々が近づくと、すぐに家に入ってしまって、チラシを配るのも大変なようだった。

それでも、後半は今日の宿泊をさせていただくお寺の檀家さんが外に出て待っていて下さって、お布施をしていただき、お声をかけて下さった。

本日お世話のなるのは、日蓮宗の妙輪寺様。行進団の宿泊先を探して下さっている藤田さんが連絡を取った時に、すぐに引き受けて下さったということで、お邪魔すると、背筋のピンと伸びた尼僧さんがご信者さん方とお迎え下さった。

お茶をいただいた後、近所のお風呂屋さんが4時までということで、汗を流しに行くと、そこにお勤めの女性がこの行進に興味を示して下さって、お風呂から出た後、少しの間お話をした。

今日は歩く距離も長くなくて、お寺にも早めに到着することが出来たので、洗濯にも行き、ホッと一息つくことが出来た。
2012.05.25
5月25日2

5月25日

南無妙法蓮華経
本日は5時から、安専寺のご住職様と朝勤をご一緒させていただき、出掛ける前に一緒に写真を撮った。

その後、近所のお寺さんまで一緒に歩いて下さり、そこでご住職と別れて、今日も自転車歩行者専用道路をひたすら歩いた。

車の事故に巻き込まれることはないけれど、やはり歩いていて、つまらない。

糸魚川市役所にお邪魔して、市役所の総務課の方総勢10名ほどの方にお出迎えをいただき、請願書を読み上げてお渡しすると、「皆さんのお気持ちを重く受け止めて、確実に市長にお届けします。」と言って下さった。

みなさんとの交流が終わり、三々五々となった時に、職員の方と個人的にお話をすると、やはりどなたも色々な気持ちをお持ちになっているようで、個人的な思いを聞かせていただけるのも有難い。

帰り際に、1000万人アクションの署名用紙をお渡しして、署名をお願いすると、ほとんどの方が書いて下さった。

5月25日


糸魚川市は柏崎刈谷原発にも石川にも割と離れているので、住民の方々から不安の声が寄せられることはないとのことだった。

それでも、職員のある方は福島に足を運び、ボランティアをしてきたそうで、気持ちを向けて下さり、実際に行動して下さる方がいることを知って、嬉しく有難く思った。
2012.05.25 5月24日


南無妙法蓮華経

森の幼稚園てくてくを、6時半に出発、出かける前に見送りに来て下さった小菅さんと一緒に記念写真を撮り、7時に上越市役所から歩き出した。

市役所から、井上ゆかさんが愛犬のひかりとともに合流して、今日1日一緒に歩いて下さる。

新潟というところは、日蓮大聖人をはじめとして、良寛さん、親鸞上人など、高徳の御出家に御縁のある土地柄で、お寺もたくさんある。今日歩いている途中でも、親鸞聖人ゆかりの五智国分寺様にお参りさせていただきながら、休憩させていただいた。

普段は歩いていると、そこにお住いの方や道行く人と挨拶をしたりするのだけれど、今日主に歩いていたところは、「久比岐自転車歩行者道路」だったので、すれ違う人もなく、出会うこともほとんどなく、トンネルがいくつも続く専用道路だった。

事故にあう心配はほとんどなかったけれど、人との出会いもほとんどなかった・・・。

でも、不思議なことに、太鼓を叩き、お題目をお唱えしてトンネルを進んでいくと、口笛のような音がずっと聞こえてきて、行進団の声とは違う人の声もそれに合わせて聞こえてきたりしたので、太鼓の響きや人の声の反響でそう聞こえるのか、狭いトンネルだからなのか、よくわからないけれど、そんなことがあった。

自転車専用道路をどこまでも進んだ途中に、本日宿泊させていただく安専寺様があった。

真宗大谷派のお寺で、保育園も経営されているけれども、地元だけではなく、被災した福島の子どもたちの受け入れも行っているそうで、現在は夏休みや春休みだけだけれど、今後は長期の受け入れも計画しているとのこと。ちなみに行進団が到着した時は、ちょうど子供たちの帰宅時間で、子ども達とお母さん方、そして御住職の素敵な笑顔に出迎えて頂いた。

夜8時過ぎには、新たな行進者佐々木茂さんが埼玉からご参加下さった。
2012.05.24 5月23日

南無妙法蓮華経

今朝は光徳院様を6時半に出発、出がけに記念写真を撮り、この光徳院様をご紹介下さった浄福寺様にご挨拶に行った。

この浄福寺様は、以前2004年に平和行進があった時に宿泊場所を提供して下さったことがあるそうで、その御縁でこのたび、本来ならば泊めたいところだけれども、都合がつかず、光徳院様を紹介下さったとのことで、もちろん初めてお目にかかったけれども、奥様やお母様をはじめ、みなさん本当にやさしそうで穏やかな物腰で、行進団もひとりひとり自己紹介をしたけれど、その短時間でなんだかすっかり気心が知れた気持ちになって、嬉しかったし有難い経験だった。

今朝は曇り空のスタートだったけれども、次第に晴れてきて気温も上昇し、気持ちのいい日となった。

聞くところによると東京は昨日、酷い天気だったようで、東京スカイツリーもオープンを迎え、イベントが目白押しだったのに、大雨となって大変だったと聞いた。

歩いている中では、それほど大変なこともなく、珍しくすんなり歩き終わったような気がする。

今日のラストは上越市役所で、いつものように請願書を読み上げ、お手渡しした。

市長さんはお出にならなかったけれど、職員の方々が7,8名お出迎え下さって、こちらの意見などを聞いて下さった。

なんでもこのブログを読んで下さったそうで、こちらに対しても、とても理解を示して下さり、有難かったけれど、何より有難かったのは、市民の皆さんの安全を考え、心配や不安に対しても、逃げたり責任転嫁をすることの無いように対応して下さるとお話しいただいたことだった。

今まで色々な役場にお邪魔したけれど、自分の立場から絶対に出ないで、すべて何かや誰かのせいにする方々が多かったので、素直に嬉しかった。


今日の行進はここで終わり、車移動で本日の宿泊先である「森の幼稚園てくてく」に向かった。

こちらで夕食を頂き、ゆっくりとさせていただいていると、今日一緒に歩いて下さった方をはじめたくさんの方がお集まりになり、交流会のようになって楽しかった。

来て下さった方の中に中学2年の女の子がいて、学校では今回の原発の事故に関して何か指導があったり、友達同士で話会うことがあるかを尋ねてみると、「全くない。」とのことだった。友達の間でも話し合うことはないし、学校では先生が問題に触れることもないということを聞いて、起きたことはしょうがない、電気は使わないわけにはいかないから、文句を言うわけにはいかないという理由だそうで、そんなことだろうとは思ったけれど、実際に話を聞くと、やはり衝撃的だった。


田植えのシーズンで、水田にカエルの大合唱が響いて、自然に恵まれた森の幼稚園の環境の良さに感動しながら、今までと違い、放射能の危険の中に生きることは変わらないわけで、子供たちの幸せのためにさらなる努力をしなければならないと思った。
2012.05.24 5月22日


南無妙法蓮華経

今朝は6時半に車移動をして、7時に刈羽村役場に到着してそこから歩き出した。

9時半ごろに柏崎市役所に到着して、請願書を読み上げて手渡した。
担当の方々ともお話をして、今後の原子力政策に対する意見を聞かせていただいた。
こちらの意見に対しても、真摯に受け止めて下さったようで、今後の市民に対する対応も楽しみ。

市役所を出て歩きだし、昼食休憩は児童公園のような場所で1時間ほど取り、食後、子供の為の遊具で遊んだりした。

再び歩き出し、車を止めて行程の確認をしていると、車に乗ったおじさんがやってきて、「脱原発」と書いてあるバナーに対して、「脱原発とか言ってるけど、(こういうことを言っていること自体が)無責任なんだよ。」と意見を言ってこられた。

こちらも遊びで歩いているわけではないので、どういうご意見かと思い話を聞いていると、そのおじさんの息子さんは、東北電力の本店にお勤めだそうで、これまでは周りから羨ましがられるほどの職場だった電力会社が、今のご時世では、ともすれば加害者として白い目で見られてしまうことの憤りを感じての言葉だったようで、福島に住む方々に対する補償問題に関して、おじさん曰く、柏崎刈羽原発の2基だけでも動かして、そこから得た電気代で補償すればいいというもので…。被災して今もなお、解決策の見えない福島の人たちのことを考えると、すぐにでも止めたい原発を動かして得たお金で福島の人たちが本当に喜ぶか、とそのおじさんに話すと、スッと話を逸らしたりして、おじさん自身複雑な胸中で考えがまとまっていないようだった。

それでも、こちらの立場や考えを話しはしたけれど、平行線というか、理解をしている共通の部分もほとんどなく、こちらも前に進まなければならないので、最後まで話をすることはできず、次の場所へと歩き始めた。

短時間で話をして、なおかつ理解してもらうというのは本当に難しい・・・。
今晩泊めていただくところは、光徳院様。ギリギリで決まった宿泊場所で、一度は行進団のお手伝いで宿泊先を探して連絡をして下さっている藤田さんが連絡をしてお断りされたところを、ほかのご寺院様の紹介によって、宿泊を引き受けて下さった。

広い本堂に泊めていただくことが出来て、ゆっくりと休ませていただいたけれど、その前に、3名の檀家の方とご住職様とで行進団の面々と交流会のような感じでお話が出来て、それも有難かった。

檀家の方のお一人は、息子さんが東京電力に勤めている方がいて、脱原発、と言っても、なかなか簡単には割り切れない、という子供を心配する親の立場からすれば、分らなくもないご意見を伺った。

が、しかし・・・。正直なことを言えば、「仕事を変えたっていい」と思った。

もしくは、原発しかないという考え方を見直すことから始めればいい。

意外と簡単なことが、固定観念に縛られて身動きが取れなくなっている。

もう少し自由に物事を捉えてもいいのではないか。
2012.05.23
5月21日

南無妙法蓮華経

今日は、柏崎刈羽原発前で終日断食御祈念の日ということで、5時に起床、6時にお勤め、7時に車移動で出発した。

この原発には約3000人が務めているそうで、毎朝原発まで大渋滞が起きているとのことで、実際に目の当たりにすると、大型バスから自家用車から、ひっきりなしに原発の入り口に吸い込まれていく。

今朝早く佐藤上人様が下見に行かれて、原発のどこのあたりがいいかを選んできた。

我々が唱題しながら入口に近づき、受付のゲートがすぐ近くの芝生の植え込みのところに0ブルーシートやマットを敷き、唱題行の準備をしていると、東電の警備担当の責任者が来られて、引いてある白線から敷地内となるので、ここではやめて頂きたいと言われた。代わりの場所を教えていただいたので、その場所に下がり、車が入れないようになっている、道路の安全地帯のような場所に改めて場所を設置しなおしていると、先ほどの方から、「申し訳ないけれども、この場所も以前、東電で買い上げた土地なので、別な場所に移ってほしい。」とのことで、3度目の正直で、東電とは完全に関係のない歩道のところに改めて準備しなおした。

PRセンターに9時半に要請書の受け渡しをすることになっているので、佐藤上人様とネパールから来られたウダヤバタラ上人、AKOちゃんの4人で唱題行を離れ、センターに向かった。

東電のPRセンターの前には、先ほどの警備担当の方と、もう一人の方が待っていて、こちらの要請書を読み上げてお渡しした。

福島の事故以来、東電の職員もかなり色々な形で気を使っているようで、こちらに対してもかなり丁寧だったし、座る場所に関しても、「事故の無いように十分気を付けて下さい。」などというお気遣い?も頂いたので、こちらから一言お話するときに、こちらに気を配って下さって下さるように、本当の意味で、すべての命に対しての配慮として「即時
廃炉」をお願いした。

今日もかなりいい天気で暑く、なんとセミが鳴いていた。

長野からご参加くださった方をはじめ、総勢30人以上で太鼓を叩き、大声でお題目をお唱えして祈った。

原発で働く若い世代の方は、車で通りすぎるときに、小馬鹿にしたように笑いながらこちらを見ていった。

近所に住む方なのか、助手席に座るおばあさんが、こちらに会釈をしたり合掌して通り過ぎていった。

御祈念の途中、これまで一緒に歩いて下さった中嶋さんが、所要の為しばらく行進を離れることとなり、しばしのお別れとなった。
朝早くから行進団の為に、食事の支度をして、支えてきて下さった中嶋さん。
また一緒に歩く日を楽しみに待ちながら、なお一層お題目をお唱えした。

今日の断食御祈念は3時までさせていただき、その後荒浜という近くの浜辺まで移動して、原発から垂れ流される、放射性物質を含んだ冷却水で汚染された海を、お神酒とお題目を書いた紙を撒いて、みんなで清めた。

その後、車移動で刈羽村役場まで行き、請願書をお渡ししてきた。

そこでは、というよりそこでも、県知事の意向と同じく、福島原発の事故の検証がされないうちは再稼働はないけれど、国の判断を見据えて、国からの指示を待って行動したい、という内容だった。

今回の断食祈念は地元の自然農をされている若い方々が多く参加して下さって、皆それぞれにノウハウを持ち、研究をして、無理や無駄のない堅実な努力を積み重ねている。

国からの指示や判断を待っていたのでは、それこそ手遅れになってしまう現実を見て、独自に勉強している個人を目の当たりにしても、それでもあくまで国の責任、東電の責任と、責任を転嫁している役場の人たちは、何も感じないのだろうか?という疑問がさらに深まった・・・。

夜にはお世話になった善照寺様のご住職、昨夜も来て下さった女性3人の方々としばらくお話をして、有意義な時間を過ごした。

それぞれの心の中には、本当にそれぞれに深い思いがある。その根底に流れているのは、やはり お互いの『命を守る』ということに尽きると思う。
勝ち負けではないけれど、やはり真剣に向き合わなければ・・・
2012.05.22 5月19日



南無妙法蓮華経

今朝は4時に起床し、車に荷物を先に積み込み、食事をしてから6時に本堂にてお勤めをさせていただき、妙光寺様を後にした。

永石上人様に3人ほど乗せていただき、西蒲区役所まで連れて行っていただいた。

岩室駅で休憩し、午前中に燕市役所に到着すると、係の方が玄関先でお待ちになっており、御挨拶の後、佐藤上人様が請願書を読み上げて、受け取っていただいた。
  
今日は歩く距離が長かったので、久々に疲れた気がする。

それでも道をゆく途中、何度となくご供養を下さる方が多くて、そこでついつい話し込んだりしながら前に進んだ。
家の前でご供養をして下さった方がいて、そこで話し込んでいたら、向かい側のお宅の方からもご供養をいただき、二手に分かれてお話をした。

今日はいい天気で暖かく、時折風はあったけれど歩きやすくて、これからはどんどん、さらに暖かくなるので有難い。

今日の行進の終着点は「良寛の里わしま(道の駅)」。

美術館をはじめ、色々な施設が軒を連ねているので、道の駅までが長かった。今日も永石上人様と本日お世話いただく本行寺の小田泰智上人様のお二人が我々を待っていて下さった。

一度お寺にお邪魔してから、お茶をいただき荷物をまとめてお風呂に向かった。

夕日がきれいで、お風呂屋さんから水平線に日が沈む様子を眺めることが出来た。
2012.05.22 5月18日


南無妙法蓮華経

早朝、新津道場にお参りして、お仏舎利塔にご挨拶をした。お参りの途中、雨が降り出して来て、今日の天気が心配になった。

新津道場で朝食をいただき、数々ご供養の品を頂戴し、庵主様にお見送りを頂いて、車移動で新潟県庁に向かった。

通勤ラッシュの為、道が混んで進まずにイライラしたけれど、何とか到着して歩き出そうとしたらそこでいきなりの集中豪雨。これがゲリラ豪雨か!と思いながら、初めから皆、合羽などは来ていたけれど、風に吹かれ、ビッショリ濡れながらの行進となった。

雨は降ったりやんだり・・・。強くなったり弱まったり。時折強い風が吹き、玄題旗が煽られたりしながらの行進だった。

歩いていると、道の両側に田園風景が広がり、水田に植えられたばかりの稲が整然と並び、さすが米どころ、という感じ。

西蒲区役所が今日の終着点。そこに、本日お世話になる、日蓮宗角田山妙光寺にお勤めの永石光陽上人様に迎えていただき、車で妙光寺様に向かった。
妙光寺様のすぐ近くに日蓮聖人様ゆかりの岩屋があるということで、永石上人様にご案内いただいて、お参りすることが出来た。

毎月19日が、ここの岩屋の七面大明神様のご縁日とのことで、一日早くお参りが出来た。

ゲリラ豪雨も体験したけれど、夜にはきれいに晴れ渡り、たくさんの星を見ることが出来た。
一日中雨だったので、夜にコインランドリーに行き洗濯もしてきた。
2012.05.20 5月20日
南無妙法蓮華経

初夏の候 皆さま如何お過ごしでしょうか。

本日は、道の駅、良寛の里わしまから刈羽村役場まで行進しました。天候は一日中晴れ、最高気温は25度、行進参加者は15名でした。午前中に出雲崎町役場を表敬訪問をさせて頂きました。

出発前に本日のみ行進参加の御夫婦と待ち合わせ、新潟市よりお越しいただきました。以前より脱原発運動に携わり、最近はご自身のブログで全国の脱原発運動を紹介しているそうです。

その御夫婦も加わり行進がスタート、途中地元の方から声をかけられ、やはり古くからの脱原発に取り組んでいたとのこと。20年前には、バンドで脱原発ソングを演奏し、日本海側をコンサートツアーされたとのこと。「命が壊れる前に、原発を壊せ」見事な歌声を披露して頂きました。


出雲崎町役場への表敬訪問ですが、大勢のお出迎えを受けました。向かって左側に警備員が4名、右側に副町長様と職員の2名。休日にありがたいことです。町長室へお通しいただき、地元の名物「良寛牛乳」を頂きました。町長様の原発再稼働への見解をお聞きしたところ「原発の再稼働は福島の原因究明とその対策をしっかりとすることが前提」とのことでした。

役所を後に行進を再開、道の左右に田んぼが広がります。さすが米どころ、新潟県。その田んぼの向こうから手を振る子ども達、飛び跳ねながら手を振る女の子が印象的でした。

目的地、刈羽村役場到着直前に「原発はいらない!美しい自然と尊い命をまもるために」の看板が目に入ります。
経済中心ではなく、命中心に考えるならば自ずから原発問題の答えは出てくるのでしょう。本当の「問題」は人間の心が腐って行く、正義を失い欲望のままに「幸せ」を貪る生き方そのものなのかも知れません。

命の行進団、明日は柏崎刈羽原発前での断食御祈念です。
本日は泉が代筆させて頂きました。最後までお読み頂きありがとうございました。 

2012.05.17 5月17日


南無妙法蓮華経
フェリーでの快適な一夜を過ごして、船は新潟港に6時に到着した。

新潟港は曇りがちだったけれど、暖かくて風もなく、穏やかな新潟でのスタートを迎えることが出来た。
フェリーを降りるとすぐに歩きだし、一路市役所へ向かった。

登校途中の小学生とすれ違い、挨拶を交わしながら歩く。北海道の時と少し違い、恥ずかしそうに、あるいは驚いたようにしている姿が印象的だった。

市役所に着き、玄関先で対応を受けた。
穏やかな方たち3人が出てきて下さり、請願書を読み上げて、資料とともにお渡しし、少しお話をしてこちらの思いをお伝えした。

その後、少しの間休憩させていただき、今度は県庁に向かって歩き出した。

県庁に着くと、先ほどとは打って変わって原子力安全対策室のようなところに所属する男性がお一人で出てこられて、先ほどと同じように、請願書を読み上げたけれど、それまでは少し緊張しているようだったのが、次第に解けてきたような感じがあって、こちらもホッとした。

実は県庁に行く前に、事前にメールやファックスなどで連絡を入れているけれど、これから行くと、電話で確認の連絡を入れたところ、「聞いてない。」「突然そんなことを言われても・・・」などという返事が返ってきたそうで、どんなことになるかと思ったけれど、対応して下さった方は、「いい人」だったので、佐藤上人様が請願書を読み上げた後、以前から気になっていた、風力、火力 水力などの発電所にはつかないのに、「原子力安全対策室」など、原発関係には、わざわざ「安全」と付くところが、いかにも危険であるという証明だとも思えるので、気になって聞いてみると、ちょっとあわてていた。

県庁から失礼しようとすると、我々の様子をご覧になっていた女性が二人いたので、チラシを差し上げると、その方々も県庁に要請に来られた方で、『みんなで決める会「原発」新潟県民投票を成功させよう!』という活動をしている方々だった。

皆で記念に写真を撮り、しばらく駐車場でお話をして、今度は車移動で新津に向かった。

新津には、日本山妙法寺の道場があり、林庵主様が食事を用意して、我々を温かくお迎えくださった。

お仏舎利塔をお参りして道場に入り、心のこもった食事を有難くみんなでいただきながら、自己紹介を兼ねていろいろ話が盛り上がり、ゆっくりさせていただいた。

本日の行進は県庁まで。あとは半日のお休みということで、明日の朝はまた道場にお参りしてから出発することにして、本日の宿泊先に移動し、それぞれに過ごした。

本州に戻り、また明日から祈り歩く。その土地その土地で雰囲気が違うけれど、これから進んでいく日本海側はどんな様子だろう。状況は深刻であり、そこに住む人たちの思いはどこにあるのか・・・。
2012.05.17 5月16日


南無妙法蓮華経

今朝は、バックパッカーズホテル「杜の樹」にて6時半起床。
いつもの起床は、大体4時半なので皆寝てられないのか早々と起きていた。

9時過ぎに、この宿をお世話下さった、日蓮宗法輪結社、飯田上人様が来て下さって、フェリー乗り場までお見送り下さった。

新潟行きのフェリー乗り場には、先日来て下さった札幌道場の高橋庵主様をはじめ、ご信者さん方がわざわざお見送りに来て下さっていた。乗船までの間お話をして楽しく過ごさせていただいた。

10時30分新潟に向けて出発。到着予定は明朝6時。

乗船後、皆思い思いに過ごして、のんびり船の旅を楽しんでいるようだった。
陸地に近い当たりではまだ、電波も届いているようだったけれど、さすがに沖に出ると携帯も圏外になってしまい、体を休めることが快適な一夜をできる。

食事も一晩のことではあるけれど、前もって行進者の中嶋さんが準備をして下さったので、船の中で有難くおいしくいただいた。

沖に出ても、大きく船が揺れることもなく、お風呂もついて、ゆっくりと海を見ながらお湯につかることが出来て、本当にありがたい時間だった。
2012.05.16 5月15日


南無妙法蓮華経

本日は6時半に車で移動、仁木駅を7時に歩きだし、余市町役場に8時半過ぎに到着した。

朝のお勤めの後、行進に参加して下さっていた、札幌で鍼灸師をされている那須さんが今日で行進を離れるので、一言御挨拶をいただいたとき、ご自身の手帳に書かれている、宮澤賢治の「アメニモマケズ」を朗読して下さって、これから、まだ先に進む行進団に、暖かく、大きな力となる言葉を示して下さった。

余市町役場でも丁寧に応対をしていただき、脱原発に向けての考えを聞かせていただき、こちらの思いもしっかり伝え、受け止めて下さった。

役場を後にしてから、フゴッペ洞窟を見学し、おたもいにあるストーンサークルなど2か所を回り、祈りをささげた。

フゴッペ洞窟は、その中に文字のような、絵のようなものが数多く刻まれているのが昭和26年に当時の中学生によって発見され、それ以来研究対象となっているもので、野ざらしにはされておらず、教育委員会により入口に展示室が設けられ、しっかりと管理されていた。

脈々と流れる歴史の中で、途切れてしまい、今からすればよくわからないものでも、分るか分らないかではなく、確かにその時間があり、その中に自分たちの命も含まれていることを自覚しないと、想像することで気持ちを向けることが出来れば、お互いにより豊か生き方ができると思う。

歩いている途中、例によって下校途中の中学生と一緒になり、手を振ったり振られたり、コンビニで休憩中でも通りかかった中学生と話し込んだりしながら過ごした。

このコンビニでは、地元の北海道新聞の方が取材に来たりして、結構賑やかだったり、那須さんのかかわりの方々が大勢で来て下さって、小樽市役所まで一緒に歩いて下さり勢いのある行脚となった。

小樽市役所に到着すると、待っていて下さった方もいて、拍手でお迎えいただき、その方々と一緒に会議室で役所の対応を受けた。

市長は不在で、代わりの担当の方が対応して下さり、丁寧に聞いて下さったけれど、時間がないとのことで、請願書を読み上げ、手渡して終わった。

その後、玄関先で皆さんと交流し、記念に写真を撮り、本日の宿へとご案内いただいた。

今日の宿をご供養して下さったのは、日蓮宗の法輪結社 飯田上人様で、雰囲気の良い旅行者用のホテルでゆっくりさせていただいた。

以前からの行進のご縁で、今回も何度もお手伝いをいただいた、やなぎさんが顔を見せて下さって、遅くまで話し込んだりして楽しく過ごした。

明日は午前10時半にフェリーに乗り込み、新潟へ移動するので、なんとなく気持ちも緊張がほどけている感じ。

明日は出発する北海道、今度はゆっくりと回りたい。できれば原発がすべて廃炉になり、心置きなく北海道を満喫できるようになれると嬉しい。
2012.05.16 5月14日

南無妙法蓮華経

今朝は6時半に車で国富まで移動し、7時から歩き出した。

笹森上人様は、お昼過ぎまでご一緒に歩いて下さり、行進も和やかさの中に、キリッとしまった感じで歩くことが出来た。

北海道に入って、みんなが実感していることは、地元の方々は子供もお年寄りも、男性も女性もみんな親切で、旅人を受け入れてくれるような懐の深さがあること。

我々が歩いていると、むこうから「こんにちは」 「おはようございます。」など、声をかけてくれたり、通学途中の子供たちに手を振ると、みんなすぐ手を振りかえしてくれたり、歩いていて、とても嬉しい。

ただ、道が広いせいか、車のスピードはかなり速く、道幅が狭いところでも、歩行者に遠慮なく突っ込んでくるところはお互いに気を付けないと・・・。

昼食休憩は、「きのこ王国」という道の駅のような、キノコをメインに地元の食べ物を扱っているところで採ることになり、笹森上人様が行進団にきのこ汁をご供養して下さった。

このところ、北海道でも暖かさを感じられるようになってはきたけれど、風はまだ冷たくて、きのこ汁をいただき、体の中から温まった。

笹森上人様とはここでお別れとなり、本日の最終地点である仁木町役場へと向かった。

役場に到着すると、3名の担当の方がお迎えくださって、原発に関しての町の在り方などを聞かせていただいた。

請願書を読み上げ、役場の方と交流していると、町長さんが仕事を終えてきて下さり丁寧に
こちらの話を聞いて下さって、受け止めて下さった。
今までは、ダメでもともとで


仁木町は果物が豊富にとれるところで、おいしいお米も取れるそうで、バイタリティにあふれた町長さんのお話しぶりから、こちらもずいぶん力をいただいた。

行進団のこともずいぶん気にして下さって、本日の宿泊先に、あとで飲み物の差し入れを届けて下さった。

今まで何度も、色々な役場にお邪魔したけれど、差し入れをいただいたのは初めてだった(笑)。
2012.05.16 5月13日

南無妙法蓮華経

母の日の今日、泊原発での終日御祈念となった。

天気は良かったものの、風が強く冷たくて座っている間、体の震えが止まらなかった。

朝8時から御祈念スタート。正面ゲート前にブルーシートを敷き、お坊さんをはじめとして、10名以上の人間が、うろうろと何やら怪しい動きをしているにもかかわらず、警備の人たちは一言も聞いてくることなく、完全な無関心状態だった。
断食祈念中、警備の人たちはただ淡々と、車が来たらゲートを開けて、閉じて、の繰り返し。

目の前の自分たちをまるでいないことのように、ただ、淡々と自分の仕事をしていた。

ただ、時折、一人の人が双眼鏡でこちらを数えていたけれど・・・。

マザー・テレサは「愛情の反対は、無関心です。」と仰ったけれど、あまりにも無関心な態度に出られると、怒りでもぶつけてこられたほうが、まだ話し合う余地がある分、ずいぶんとマシなことだと思えてくる。

御祈念の途中から、次第に人が増えてきて、最終的に総勢22名となった。
その中には、北海道で御修行をされている笹森上人様をはじめ、日本山の御出家はもちろん、在家の方々も多数ご参加を賜り、大変有難い御祈念となった。

午後3時半にはお断食を終了として、次に御祈念をしていたすぐそばの海岸で、海を清めるために、また、犠牲となっている数多くの命のご供養として、お題目を書いた紙を皆で海に流した。

夜には、地元で長年反対活動と、原発ができる前から、海の水温を35年間図り続けいている、斉藤武一さんをはじめ、お仲間の方々が来て下さり、斉藤さんが長年続けている原発反対の紙芝居を見せていただいた後、お互いに話し合うことが出来て、夜遅くまで語り合うことが出来た。

斉藤さんの紙芝居は、原発に関しての現実の問題に対して働きかけている内容で、北海道内ではがんの死亡率が一番高いのは泊村であったり、9月11日の同時多発テロ以降、泊原発の前の海に巡視船が1か月交代で配備されているそうで、原発の中にも機動隊が配備され、ミニマシンガンを携帯して警備にあたっているとのこと。

原発がなければそんな配備もいらないし、そこで発生するお金は国民の税金から。

その昔、萱沼炭鉱があったころは1万人まで人口があったはずなのに、炭鉱が閉鎖され、人口も6000人から3000人にまで減ったそうだけれど、原発が誘致され、そのおかげで?、今では泊中学校が、日本で初めての(唯一の?)オール電化の中学校となっている。

原発が誘致されることで、住民の間に軋轢が生まれ、亀裂が生じることがよく聞かれるけれど、その方法として、大手広告代理店が、そのマーケティング力を生かして、住民の中に入り徹底的に住民同士の関係を洗い出し、明らかにした上で今までに築き上げた信頼関係を壊していくことが仕事となっていると聞いて、本当に驚いた。

また、今は震災後のガレキ処理に関しての広告によって、ガレキを受け入れない県は酷い県であるかのように、国民の気持ちを誘導していく働きをしていると聞いた。

また、あるとき、原発の立地候補に住む、アウトドアが趣味の人が、酒場で隣り合わせた人と親しくなり、話をしていくうちに、その里山にどんな植物が生えているかという話題になって、隣り合わせたその人が、どこに何が生えているかとても詳しく話すので、なぜそんなに、住民以上に詳しいのか尋ねると、実は電力会社から派遣されて、現地のリサーチをしているとのことで、もし原発を建設するとなった時に、希少植物がその土地に生えていると、あとで裁判沙汰にならないように、その希少植物を根こそぎ引っこ抜いてくるのが仕事なのだと話したそうで、ある意味、仕事熱心?ではあるけれど、目先のことにしか目がいかない、想像力が働かない怖さを思い知り、あきれるを通り越して、背筋が凍る思いがした。

今日は、少年が2人来てくれて、夕食の手伝いをしてくれたり、一人の男の子はお父さんも連れてきてくれて、食事をした後、しばらく一緒に紙芝居を見ていった。

通りすがりでも、関わり方は様々で、先入観を持たずに来てくれる少年たちの姿に、ホッとしながら、こういう子供たちが、少しでも健康で、元気に過ごしていけるような社会になるように、頑張らないと・・・。
2012.05.16 5月12日


南無妙法蓮華経
本日は、歩き初めに、今回お世話になった妙善寺様へご挨拶に行き、そこからご住職と二人のかわいいお子さん、奥様と先代の住職ご夫妻にお見送り頂き、御住職と娘さんは少しの間一緒に歩いて下さった。

好きな科目は算数、という可愛らしい女の子と、若くてバリバリのご住職にご参加いただき、行進団もかなり勢いが付いた。

雄大な北海道の自然を眺めながら歩き、2回目の休憩のときに、お店屋さんの前で休ませていただき、トイレも貸していただくことが出来た。

その時に、ただ休ませていただくのもどうかと思い、必要なのど飴などお菓子を買い(?)少しお話をすると、泊原発が止まり、仕事が無くなって職安に行く人が増えてきた、とのことで、話を変えて北海道の自然の豊かさについて感動していることを話すと、「そうですか?昔から住んでいると、気が付かないですね。」とおっしゃるので、見方を変えると、生まれた時から原発があるところに住んでいると、それが当たり前だということになるのか・・・、と考えたりする。


行進の途中、とまりん館という泊原発のPRセンターに立ち寄った。

外観は、見る方向により広島の原爆ドームを髣髴とさせる造りで、何とも皮肉な感じで、悪い冗談のような気がした。

当然のようにマスコットキャラクターもいて、「とまりん」という、頭が円い食パンのような姿で、モチーフは何かを聞いてみると、そのものズバリ、原発建屋だとのことだった。

中に入り見学させていただくとともに、昼食をとる場所も貸していただけたので、食事をしていると、日本山妙法寺、札幌道場の庵主様方をはじめ、道場のご信者様が多数来て下さり、応援に来て下さった。

佐藤上人様が、一人ずつ行進参加者を紹介してしばらくお話をし、12時30分より館内の説明を受けることとなった。

いつものPR館なら、うら若い女性が案内をして下さるのが、今回説明して下さるのは元技術者だった伊勢さんという男性の方。

去年の3,11を踏まえ、今までならば、原子力のいいところだけをこれでもか!と宣伝出来た所が、今はとても歯切れが悪く、それでも、いかに泊の原発は大丈夫であるか、心配はないかを力説して下さった。

まるで遊園地かテーマパークか?のような造りは、今までのPRセンターと同じではあるけれど、見学していつも不満なのは、福島の事故後の検証がされていないことや、事故を踏まえてこんな対策をとりました、という展示はしているけれど、ボードに紙が張り付けてあるだけの簡単なもので、手間暇もかけていなければ、現状を不安に思いPRセンターに足を運んできた人たちに対して、とても失礼だと思い、改善するようにお話をした。

説明を聞いていて、やはり突っ込みどころがあるので、ここはやはり、突っ込まないと・・・。
と思い、穏やかに突っ込みを入れていたら、だんだん伊勢さんも本気(?)になってきて、次第に話がぶっちゃけてきて、色々と本音もお話になるようになってきた。

リサイクルできて、環境にやさしいのはでたらめである原子力。であるならば、太陽光や風力、火力エネルギーなどに移行していくのかと思い、今後はどうなるかを尋ねてみたら、
なんと!「核融合」であるという返事が返ってきた。

実現まではあと100年くらいかかるだろう、と伊勢さんは仰っていたけれど、先日六ヶ所村の核融合研究施設の方のお話では、あと40年程で出来るとのことだったけれど・・・。

何にしてもまったく現実的ではなく、言葉は悪いが何か悪い夢でも見ているのか、と思うようだった。

ひとしきり館内をご案内いただき、その後色々と長い間質問をしたりしながら、意思の疎通を図っていると、年齢的なところで、こちらは相手の方の子供くらいの年ごろなので、そんな若者たちが、志を持ち、祈り歩いているというところで、何か感じて下さるところもあるようで、なんとなく和やかな、穏やかなうちにこちらの気持ちをお渡しできている、ということがずっと続いている。
けんか腰にならず、相手の話を聞いたうえで、穏やかにこちらの意見をお話ししながら」、共感できるところを捜し、そこにどう持っていけるか・・・。

毎回真剣勝負であるとともに、楽しい作業でもある。

実は伊勢さんも泊の出身で、この場所は昔炭鉱で栄えた場所だそうで、その炭鉱が閉鎖になり、そこで次に来るのは電気だ!との思いから、専門の学校に進み、今の技術者となった。

「福島の事故は、あれは電源喪失によるものだから、今までは3重の設備だったけれども、今回は電源車を新たに高台に配備することになって、4重だから大丈夫」と仰った時点で、こちらとしては、「これはダメだ・・・。」という思いを一層強くした(苦笑)。

今度災害が起きても大丈夫、と仰る伊勢さんでも、家族は札幌に残して、単身赴任でPRセンターに勤めているのは、何か矛盾を感じてしまうけれど、我々は、原発自体に何事も起こらないように祈り、一日も早くすべての原発が廃炉になるように祈り歩くことだけは、変わらない。

明日はいよいよ、泊原発の前での断食御祈念。
宿泊先に到着して荷物などを下していると、地元の少年たちが3人、珍しそうにやってきたので声をかけると仲良くなり、夕勤にも参加してお太鼓を叩いてくれたので、夕食がカレーだったので食べに来ないか誘ってみたら、「食べたい!」と言うので、「ご両親の許しをもらってからおいで。」というと、一度家に帰り、そのうちの一人、中学2年の少年が来てくれたので、一緒に楽しく夕食を囲んだ。
2012.05.16 5月11日


南無妙法蓮華経
本日はニセコ町にある、元町コミュニティセンターを7時に出発して歩き始めた。

昨日までは暖かだったのが、今朝は少々冷え込んで風が冷たかったけれど、5月でもあるし、歩き出せば何とかなると思い、いつもより声を大きめに出してお題目をお唱えした。

次第に晴れ間ものぞきだして、羊蹄山の上半分は雲に隠れていたけれど、すそ野を見ているだけでも雄大さが感じられて、雪山のふもとに満開の桜が咲き、冬と春が一緒にある、北海道ならではの自然を眺めながらの楽しい行脚だった。

3度目の休憩が昼食の予定で、倶知安町役場に表敬訪問することになっていたので、町長さんをはじめ役職の方にお出迎えをいただき、町長室でこちらの請願書を読み上げ、お受け取りいただき、こちらもひとりひとり自己紹介をして、和やかに交流することができた。

その後に会議室をお借りして、皆で食事をいただいた後、職員の方のお見送りをいただき、行進を再開した。

昼過ぎから次第に日が陰り、風も強まって寒さも厳しくなってきた。

途中休憩をはさみながら、今日最後の目的地である共和町役場に到着、町長、副町長不在とのことで、3名の職員の方の対応を受けた。

町としては、原発の再稼働に賛成の立場が圧倒的だそうで、3名の職員の方のリーダー格の方も、もちろん賛成派だったようだけど、それでもこちらの原発に対する危機意識を啓発するような話に頷いて下さって、お互いに熱のこもった熱い話し合いとなった。

お互いに、問題意識や向いている方向性は同じ。ただそこで決定的に違うのは、お金や生活レベルを大事に思うか、今を生きるために、命が最も大切であると感じているかどうか・・・。

職員の方が、「便利な生活にすっかり慣れてしまった現状で、昔の不便さに今更戻れるか・・・」と話されていた様子が印象的で、その他にも意外に踏み込んで話して下さったので、思った以上に深く話し合うことができてよかった。

一通り話が終わり、失礼するときに黙って話を聞いていた役場の方の一人が、「今まで来られた人たちは、ただ『危ない、危ない…。』という一点張りで、話し合うことも出来なかったけれど、今日は踏み込んで話し合うことができて、お互いに嬉しかった。」と話して下さった。

こちらも、少しでも相互理解が深まれば、と思いながら色々と手を変え品を変えて話をしていたけれど、気になったのは、どこまでも国の対応を待ってから動こうとするところだったり、あるいは町民や北海道民が意識を変えて動いてくれれば…というような、あくまでも人のせいにする姿勢が言葉を通して感じられ、「そんなことばかりではいつまでも何も変わらない・・・」と失望させられるところもあった。

それでも、職員の方々は基本的に「善人」であることには変わらないので、諦めずに働きかけ続けることが大事だと思った。
2012.05.10 5月10日
南無妙法蓮華経

立夏の候 皆さま如何お過ごしでしょうか。

本日は道の駅らんこしふるさとの丘からニセコ町役場まで行進しました。天候は曇り後晴れ、行進参加者は12名でした。
本日は幹線道路から歩き始め、午前中に蘭越町役場を表敬訪問、午後は峠を経由してニセコ町役場への表敬訪問にて終了しました。

蘭越町役場への表敬訪問では、応接室へ招かれ、町長様のご対応を頂きました。蘭越町も既に「原発(依存)からの撤退」「自然エネルギーへの転換」の意見書を町議会決議しており、命の行進の趣旨、脱原発を契機に「全ての生きとし生きる者に宿る命を大切に育み、その尊さを伝えてゆく為に、祈り歩く」にも御賛同頂きました。

蘭越町では自然エネルギーへの転換を町長様が先導して実施しており、その決意と御苦労を拝聴いたしました。

「過度の原子力に頼らずに、代替エネルギーに切り替えられるかという政策を国は進めているが、実際には困難が多い」
「省水力発電、地熱発電等で発電しても北海道電力は電力買い取りに協力的ではない。電力会社への送電線を新設しなければならず、そのコスト負担は1km辺り1億円、さらにその買い取り価格も1kwで7円と提示されたが、17円以上でなければ継続できない。結局、発電と送電を独占して他の事業者を締め出そうとしているのではないかと思う。」

さらには、福島原発の事故は、「未曾有の事故ではなく、試練だと思う。仮に原発を止めても放射能の半減期は何十年とかかる。このまま便利さを求め、カネ、カネ、カネ、でやって行くのか、食って行ければ良い程度に一次産業中心でやって行くのか」「なぜ東京湾に原発を作らないのか、国民に知らせないだけで、それは危険だと知っているから」「子供達をどうする。このままでは故郷が無くなってしまう。」

そして「命と暮らしを守るの町長の役目だ。そのため市町村合併ブームに乗らず、町職員数を削って町独自の予算を確保し、町独自の福祉手当制度を実施している」

その語り口は温厚で文豪のような雰囲気を漂わせ、お話しを続いたのですが、残念ながら、次の御客様(自然エネルギー関係者とのこと)がいらっしゃって、私達は役場を後にしました。

午後は、峠を経由後、ニセコ町に到着。日本百名山のひとつ、羊蹄山のお出迎え、蝦夷富士と呼ばれるその雄々しさには畏怖の念が生じます。ニセコ町役場では、町長様に先約があり、総務課長様にご対応頂きました。ニセコ町も既に「原発(依存)からの撤退」「自然エネルギーへの転換」の意見書を町議会決議しており、行政レベルではもちろんのこと、町立の高校でも自然エネルギーの発電実験を行っているとのこと。
北海道から「なつかしい未来」が始まることを願いつつ、役所を出れば、高校生の集団、互いに挨拶を交わし、命の行進のパンフレットを渡すと「えっ、福島から歩いて来たの。すげ~」との発言。ありがとうございました。

本日の宿泊場所に到着後、このブログを記していると、来客です。なんとニセコ町長様です。「先ほどはせっかくご訪問頂いたのにお会いできず失礼しました」なんとご丁寧で真摯的な対応、一同大感激させて頂きました。

合掌 本日も泉が代筆させて頂きました。
2012.05.09 5月9日
南無妙法蓮華経

新緑の候 皆さま如何お過ごしでしょうか。

本日はJR蕨岱駅から道の駅らんこしふるさとの丘まで行進しました。天候は一日中晴れ、行進参加者は12名でした。本日も幹線道路伝いに行脚、表敬訪問等は無く、一心行進の25kmでした。

経由した黒松内町は、北限のブナの里、その名の通り原生林を左右に眺めつつ、遠方には雄々しい山脈、
時折小川のせせらぎに野鳥の囀りと大自然に育まれつつ、お題目様を唱えさせて頂きました。

北の大地、北海道。「大地とは大きな土地ではなくて、大らかな土地かもしれないなあ」などと思いつつ行脚。
すると50m程奥まった農家から手招きする男性、飲料のご供養を頂きました。「太鼓が聞こえて出てきたら、行進されていたので、喉が渇いてないかなあと思って、、、、、」ありがとうございました。

本日の宿泊先は、蘭越町の淀川コミュニティーセンターです。本日もおめでたい日、海外から行進へ1名戻ってきます。ただいまその方を待ちつつこのブログを書いております。

皆さまが「大空のように無限に、大地のように広く、大河のように深く、なめし皮のようにしなやかな心」そのような心持となるように願いつつ 合掌。

本日も泉が代筆させて頂きました。
2012.05.08 5月8日
南無妙法蓮華経

本日は国縫駅から蕨岱駅まで行進しました。天候は午前中は曇り、午後から晴れでした。行進参加者は13名でした。

出発前に、せたな町くおんの丘永代供養納骨堂にお参りさせて頂きました。宗派問わず御供養させて頂ける御堂であり、前日の宿泊場所、日蓮宗法華寺住職、大塚御上人様が主宰されております。

本日も幹線道路伝いの行進でした。前日に連絡しておいた、長万部町役場に11時前に到着、町長様への表敬訪問です。町長自らのお出迎え、さらに町会会議室へ通していただき、御挨拶後に請願書をお渡ししました。長万部町は、既に「原発(依存)からの撤退」「自然エネルギーへの転換」の意見書を
町議会決議しており、命の行進の趣旨も十分にご理解いただき、町長様の大らかなお人柄、優しい語り口に一同感動しました。更には、その会議室を昼食場所として御提供頂きました。


午後からは「北海道入りしてから、一番の天気だね」との声も聞かれほどの快晴でした。幹線道路の激しい往来にも関わらず車を停めての御供養もありました。

本日の宿泊先は、長万部町なかの沢の日蓮宗法華寺、本日は鬼子母神様のお参り日でした。その御目出度い日に
行進団の参加者1名の剃髪式が行われました。とある決意の表れだそうです。導師より有り難い御法話もあり、皆で祝福しました。
合掌

本日も泉が代筆させて頂きました。
2012.05.08 5月7日
南無妙法蓮華経

本日は八雲町役場から国縫駅まで行進しました。天候は午前中は雨、午後から曇りでした。行進参加者は17名、
前日の宿泊場所、日蓮宗宝栄様より出発、御住職の三田御上人様と小学三年生の御子息も通学前の30分程、御参加頂きました。

午後からは、本日の宿泊先でもある、せたな町の日蓮宗法華寺住職、大塚御上人様が合流されました。
本日は幹線道路伝いにJR駅で休憩を取りながらの行進、つつがなく御勤めさせて頂きました。

行進終了後にせたな町の日蓮宗法華寺へ向かいました。たくさんの檀家様のお出迎えを受け、感無量でございました。

合掌 本日は泉が代筆させて頂きました。
2012.05.05 5月3日

南無妙法蓮華経

今日はいよいよ、北海道に渡ることとなって、早朝より荷物をまとめ、出かける前に今年が熊谷あさ子さんの第7回忌に当たるとのことで、行進者一同で仏壇の前でご供養を頂いた。

厚子さんと記念写真を撮り、尽きない別れを惜しみながら「あさこはうす」を後にして、フェリー乗り場へと向かった。

車が手違いで予約できず、連休でもあるので車は明日の朝、人間は今日函館に向かうことになっていたけれど、キャンセル待ちで、何とか車も乗ることが出来て、一度に函館に入ることが出来た。

船の中ではテレビで、経産省前のテント村で、瀬戸内寂聴さん、澤地久恵さん等がハンガーストライキに入ったと報道されていて、いよいよ5日に泊原発が止まるかどうかの瀬戸際で、滅多にテント村の事など報道しないマスコミにも注目されて、勢いがついた形となった。

2時間弱の船の旅の途中で、デッキの上から、お神酒とお題目の紙を撒いて、ご供養した。

函館港に到着し、陸に降りると以外にも青森より暖かく、函館市役所目がけて歩いている途中、今年初めて桜を眺める事が出来た。

今日は歩く距離自体はとても少なく、11時ころには宿泊先のNPO法人工房「虹と夢」に到着し、昼食はそれぞれにすることにして、午後1時半からイベントに参加することになっていた。

道南の集い実行委員会主催の市民法廷「大間原発」についての映像と、担当弁護士や原告の方々の意見によって、大間原発をもう一度考えてみようという催しものだったけれど、とても面白かったし、非常に興味深かった。

そして何よりも、在りし日の熊谷あさ子さんのお姿や声を聴くことが出来て、とても感動だった。

そして、時空を超えて、深く繋がっていることを実感した。

大間原発は、大間の事だけではなく、すぐ向かいの北海道にも強くかかわることで、函館の方々が実は、あさ子さんと共闘してきていたことが分かって、何だかとても安心した。

催し物が終わって、主催者の方と少しの間、お話する時間を頂いて、場所を移動するときはもう強く雨が降りだしていた。

主催者の方々の打ち上げの席に少しだけお邪魔して、自己紹介の後、すぐに宿泊場所に戻った。

北海道に入り、景色も空気も、そこに住む人々も、はっきりと違ってきた。
2012.05.05 5月2日

南無妙法蓮華経

「あさこはうす」から歩いて、すぐ近くの大間原発の建設予定地の正面出入り口前で、午前8時から断食御祈念の始まり。

天気は良かったけれど、次第に曇り青森独特の「やませ」の影響で、冷たい風が後ろから吹き付けてきたりで、じっと座るには少々大変だった。

建設自体は進んではいないので、警備の人も作業の人も、割とのんきな感じだったけれど、道自体それほど広くなく、行きかう車はツーリングの大型バイクや、地元の人の乗る車が入って行ったりで、交通量は結構あった。

わざわざ車を止めて、我々の方に近寄ってきて激励の言葉をかけて下さったり、かと思えば自動車で通り過ぎる時に、中指を立てていく若者がいたりしたようで、淡々とただ黙っている人よりは、良くも悪くも何か反応がある方が有難い。

ただひたすらお題目をお唱えして座っていたら、あっという間に時間になった。
時が経つのがすごく早く感じた。

唱題行が終わり片づけていると、雨になって何だかちょうどいいタイミングで終わりとなった。

「あさこはうす」に戻る前に、お風呂に立ち寄り、冷えた体を温めてから帰った。

厚子さんは来て下さっていて、畑で採れた野菜を使い、心のこもった料理の数々を準備していて下さった。
山菜の天ぷらや、ニンジンのきんぴらなど、体によさそうなものをたくさん作って下さって、美味しく頂いた。

その後、厚子さんから「あさこはうす」のこれまでの経緯や、あさ子さんが一人でも決してくじけず、土地を守り通してきたお話を伺い、驚きながら、時には電源開発の汚いやり方に対して腹を立てながらずっと伺っていた。
厚子さんの温かく大きな心に包まれて、ゆっくりと今日も休ませていただいた。
2012.05.05 5月1日

南無妙法蓮華経
今朝、本門寺様の本堂で朝のお勤めをさせて頂いていると、お寺の総代で市議会議員をなさっている、目時(めとき)睦夫さんが来て下さって、この町における原発に対する立場などを説明頂いた。
目時さんは、これまで一貫して反原発の立場で行動しており、市議会でも少数派で厳しい戦いを強いられてきたそうで、それでも昨年の震災以降は、だいぶ風向きも変わってきたそうで、我々が祈り歩いてここまで来たこともとても喜んで下さった。

こちらも、地道に活動を続けてこられた方のお話を伺うことで、改めて勇気を頂くことが出来た。


今日は歩く距離が少ないため、午後からのスタートということで、午前中は本門寺様で細かい作業をし、掃除などをして、12時に車移動で風間浦役場に向かった。

途中、大間原発のPRセンター的存在の「ウィング」に立ち寄り、見学しようと思っていたら、残念ながら休館日で、建物の外で休憩をし、今日の終点である「あさこはうす」へと向かった。

「あさこはうす」の主、熊谷あさ子さんは2006年5月に亡くなられて、今はその遺志を継いで長女の小笠原厚子さんが引き継いでいる。

大間原発の建設計画が立ち上がってから30年以上もただ一人で、土地を売らず原発に反対して闘ってきたあさ子さん。

大間原発は、日本で初めての事が2つ、世界で初めての事が2つあるそうで、まず、日本で初めての事とは

一つ メーカーが「Jパワー」と言って、今までに原発を作ったことのないメーカーで作ろうとしていること。

二つ 電力会社が関連しているのは、沖縄電力を除く全国の全ての電力会社であること。

三つ 世界初のフルMOX原発であること。「MOX」はコントロールが非常に難しいので、
   世界中のどの国も建設自体を見合わせている、危険な発電方式。
四つ 原発建設予定地のすぐそばに、民家があるということ。原発を作るには過疎地でなければならないのに、「あさこはうす」がある為に建設予定地を300メートルずらして工事が始まっている。(現在は休止中)

ログハウスは立っているけれど、そこにずっと住んでいなければ、いないものとされてしまうので、「はがき運動」というものが起こり、「あさこはうす」に手紙を書いて送ることで、そこに人が住んでいることの証しとしようということも現在続いている。

今日は都合により、長女の厚子さんは来られないとのことで、明日お目にかかることを楽しみにしながら、ログハウスで重なるように、またある人は外にテントを張って休ませていただいた。
2012.05.05 4月30日

南無妙法蓮華経
本門寺様の檀家さんが家の前に出てこられて、お布施をして下さった。
御題目の声を聴いて出てきて下さり、お話を伺うとなんと、本門寺様の檀家さんだというので、有難いことだと思いながら、少しの時間お話をした。
2012.05.05 4月29日


南無妙法蓮華経
今日の午前中、佐藤上人様が行進に復帰される。短い間だったけれど、行進が滞りなく進むように気を配るのは、とても大変なことで、日ごろの佐藤上人さまのご苦労を改めて思い知った。

中間貯蔵施設をめがけて歩いているときに、佐藤上人様が合流、そこから少し離れたところで昼食休憩となった。

その後、むつ科学技術館に立ち寄り、原子力船むつの部品などが展示してある建物の外で、展示物で遊んでいるときに、お休みで来られた方と少しの間お話をして、1000万人アクションの署名を頂いたりした。

午後は伴走車の運転を担当して、お休みの場所などを確認しながら、今日はそのまま、本門寺様に戻るような形で歩き終えた。
その後、昨日出来なかった洗濯をしに行ったり、それぞれに用事を足して過ごした。
2012.05.05 4月28日


南無妙法蓮華経
朝からいいお天気。さすがに立教開宗の日は違う、と感心しながら、「花とハーブの里」の菊川さんが車を出して下さって、我々を東通村役場まで運んで下さった。

原子力対策課の担当の2名が対応。この間の対応のひどさを思い出したけれど、この度はとても気さくに話し合うことが出来た。

それでも、行進団の中のお一人が、地元のおばあさんから聞いた「ここは原発がなくても自然に恵まれて、原発に頼らなくても充分やって行けるんだ」というお話をしたところ、少しだけ表情が変わって「じゃあ、(ここに)住んで下さい。土地は何ぼでもあるから。」と引きつった感じの笑いと共に、担当の方が仰ったのが印象的だった。

原発に関する交付金で、村内の施設や設備が充実して、都会にもないほどの立派な建物が建っている。お金の力で骨抜きになって、福島の方々の現実はともかく、自分たちの事で精一杯なことは見ていてもわかるけれど、どうにかならないか・・・。言葉が見つからない。

歩みを進めてむつ市内に入ると、雰囲気がガラッと変わって青森に入って初めて、道行くおばあさんからお布施を頂いた。

びっくりして、そして嬉しかった。

道に目を向けると、一面ふきのとうや水芭蕉が咲き、木々の花芽が膨らみ、もうじき花開こうとしている。今年も「春」がやってくるけれど、本当の意味での「春」は・・・。

まだまだ先は長いけれど、諦めないで進むしかない。


むつ市役所に3時前に着いて、対応を2人の方から受けた。
基本的姿勢はやはり「原発は必要」だということで、安全対策を強化することで何とかなると思っているのだろう。いつまでも平行線。

それでも、色々な隙間をついて、穏やかに話をすることが出来た。

本日からお世話になるのは、法華宗本門寺様。

御住職は女性の方で、御主人を亡くされてその後を継いで住職となられたとのこと、女性ならではの細かい心配りを頂戴して、そのご親切に甘えて、はじめは2日間お願いしていたところを、30日の宿泊先が決まらず、3日間続けてお世話になることをお願いすると、快く引き受けて下さって、我々も申し訳ないと思うと同時に、どこまでも深い懐に深く感謝した。
南無妙法蓮華経

5月5日、午後11時頃、泊原発3号機定期検査の為稼働停止。
これにより、国内全ての原発停止。これこそ子供の日の最高のプレゼントとなりました。
そして明日6日は、お釈迦様生誕の地、ネパール国ルンビニ園ではお釈迦様のお誕生をお祝いします
これを機に、日本国民全てが再び過ちを犯すことなく、深く改悔し、
本来の人の道へ立ち返ってくれる事を切に願います。

今日を持ちまして、我々命の行進の半ハンストも終了します。
がしかし、今後も、食事に限らず、生活面、全てにおいて、深く内観し、反省し、
改善する努力を惜しまず続けるつもりでおります。
それが脱原発に繋がる直接行動と信じるからであります。

合掌 佐藤




5月6日の日程

北海道森町桂川駅7:30出発~石谷~本石倉~落部~野田生

~山越~八雲町役場。 29、4キロ