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2012.04.30 5月1日の日程
5月1日の日程

午前中 休日

青森県下北郡大畑町・本門寺12:00出発

蛇浦~北通り総合文化センター・ウイング

~大間町役場~あさこハウス。  12,5㌔
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4月23日の日程

7:00~8:00青森県三沢市米軍三沢基地前御祈念

岡三沢~~10号~~五川目~~淋代~~細谷~~織笠

~~青森県上北郡六ヶ所村倉内。  26.5キロ




4月24日の日程

8:00青森県上北郡六ヶ所村倉内出発~~

港~~六ヶ所村役場13:00到着。12キロ

午後、郷土資料館、PRセンター、核融合科学研究所、

石油備蓄基地等を見学。




4月25日の日程

8:00~16:00

六ヶ所村再処理工場正門前にて、終日断食御祈念。
2012.04.21 4月21日の日程
4月21日の日程

洋野町役場7:00出発~~247~~45~~

道仏~~階上町役場~~はしかみ道の駅~~妙

~~45~~八戸市役所。25キロ
2012.04.20 4月19日


南無妙法蓮華経
今日は唐桑半島以来の休日で、少し遅めに起きて、朝勤の後それぞれに過ごした。

午前中、必要な物を買いに出かけ、お昼ご飯を作り、今日は行進者のスコットランドから参加されているカレンさんの誕生日ということで、小麦アレルギーの為、ケーキなど小麦の入ったものは食べられないため、プリンを作りみんなで誕生日をお祝いした。

たまった仕事ややらなければならない物がたくさんありすぎて、忙しかったけれど、泊めて頂いている教会の関係者の方が来て下さって、意見公開というか、お話を聞き、お話をすることでお互いに理解が深まったと思う。

夕食はカレンさんが作って下さり、美味しい食事を頂くことが出来た。

明日からまた歩き出す。 頂いた元気を皆さんにふりまけるように頑張りたい。
2012.04.20 4月18日


南無妙法蓮華経
漁民センターを出発するときに、中上さんにお見送りを頂き、歩き出した。

今まで行進に参加してくださった、鈴木麗さんが行進を離れることになり、朝の出発と共にお別れした。

夕方には酒井上人が実家に戻ることになっていて、出かける前にご挨拶を頂いた。

野田村役場まで歩いている間、産直のお店を見かけ、美味しそうな豆腐の田楽を焼いているおばさん方の元気そうなお姿が印象的だった。

野田村役場で応対を頂き、会議室を提供して下さってお話を承ったけれど、とても感じがよくて、気持ちのいいここの村長さん自身が原発に反対の立場で、この度も署名用紙を差し出すと、二つ返事で書いて下さって、昼食の時間となり、お部屋を貸して頂き、ゆっくりと食事をすることが出来た。

その後、久慈市役所でネパール好きの担当者を始め4名の対応を受け、ここでも、気持ちのいい関わり方が出来た。

ネパールへは、以前学校をつくりにいっていたとのことで、様々思い出話を聞かせて頂き思いがけず楽しい時間を過ごすことが出来た。

帰るのが惜しいほど、離れがたい名残惜しそうな雰囲気を感じることはそれほど多くないので、精神性の高さが岩手にはあるような気がした。
2012.04.19 4月17日


南無妙法蓮華経

宝福寺様を出発する前に、記念撮影をして出かけた。

歩き出しの時は、天気は良かったけれど、食事をする場所に到着してから、割とすぐに雨が降り出し、雷もゴロゴロ言い出した。

食事がすんでから雨具を取出し、濡れないようにと思ったけれど、なかなか降りやまず、大変だった。

今回、岩手県で一番小さい村、普代村村議会議員の中上一登さん(普代村議会への道を開いて下さり、宿泊場所を探して下さった。)に大変お世話になり、近代的でとても立派な普代村役場の会議場に通して頂き、教育長をされている方や担当の部署の方々に応対を受け、自己紹介をしながら命の行進の趣旨を説明し、皆さんからお言葉を頂戴した。

ただ今問題となり、関心を集めている原発問題に関して質問をすると、「職務上、立場があるので・・・。」というよく聞く回答を頂き、署名をお願いすると、中上さんと教育長をされている女性の方は、すぐにサインして下さったけれど、その他の方はあっさりと断られてしまった。

役場を後にして、中上さんに近くのお風呂まで案内していただき、ゆっくりと体を温めた後、受付の感じのいい女性に、同じように脱原発の署名用紙を出して署名をお願いすると、ここでもまた、署名はして頂けなかった。

宿泊場所の漁民センターに到着し、食事の支度をしていると中上さんが来て下さったので、お話を伺いながら、色々情報交換することが出来た。
2012.04.19 4月16日


南無妙法蓮華経
昨日お世話になった前澤さんのお宅を出発する前に、ひとしきりお話を伺い、お宅の仏壇の前でご供養をさせて頂き、記念撮影をして出発した
人様の為に動く前澤さんは、さながらある意味仏様の様であり、そのお宅は道場の様だった。

行進の途中、菅野さんが来て下さって、本日の行進の最後までお付き合い下さった。

一緒に行進を歩いてくれているAKOちゃんが持っているビニールにかいたお手製の「脱原発」の看板をご覧になった方が声をかけて下さって、車での移動をお手伝い下さった。

昼食休憩は、矢向庵主様が探して下さった地元の商店で休ませていただき、お茶をごちそうになり、お店のご家族の方々と共に記念写真を撮った。

歩みを進めて田野畑町役場に着いてその後、すぐ近くに田野畑民族資料館があり、行ってみると月曜日で休館日であるにもかかわらず、中に入れて下さって、三閉伊一揆の20分ほどの映像を見せて下さった。

三閉伊一揆というのは、その当時の盛岡藩の過酷な年貢の取り立てに対して、どうすることもできなくなった農民が立ち上がり、17年の歳月をかけて、2度の一揆を成功させた史実で、その象徴となったのが「小○」(こまる)の幟。

農民の大半が字が読めないので、記号化した目印としての幟が、とてもいい。

「やめろ!」じゃなくて「困る」。

本当に、困る。このままじゃ困る。攻撃ではなく、このままではお互いに困るでしょ?

というニュアンスが心に響いて、この幟を持って、これからの行進を歩くことにした。
今はどうしても、平和活動やデモ行進はそれに関わる人だけのもの、という印象があるけれど、その当時、行動を起こさなければ生死に関わる。やむに已まれぬ状態というのはまさに「今」と同じ。

当時、農民の要求として四十九種があったそうで、それは「しじゅうくるしむ」という意味が込められているところに、苦しみの中にありながらも、ユーモアというか笑いの感覚があって、心の豊かさを感じた。


本日お世話になる宝福寺様には、94歳になるおばあさん、岩見ヒサさんがいらして、保健婦として田野畑に暮らしながら、原発が誘致されそうになったとき、年間の予算が当時5億だったのを、原発を受け入れてくれれば35億にする話をされて、村の男性は一様に、原発が何者であるかわからなくとも、僻地から抜け出せるという思いからもろ手を挙げて賛成した時、ヒサさんは女性たちの先頭に立って、原発がどういうものであるかをみんなに知らせる活動をしていかれた。

結果的に岩手には原発関連施設は一つもないということで、「今までの半生で原発が誘致されそうになるのを阻止できたことが一番良かった。」というヒサさんの言葉が印象的だった。

今日は特に、印象的な出逢いの多い、有難い一日だった。
2012.04.19 4月15日


南無妙法蓮華経

最近、水が温かく感じるようになってきた。やはり確実に「春」になっているのだろう。
それでも日中は風が冷たかったり強かったり、時折雨が降ったりと今イチ不順でもあるけれど。

長根寺様を7時に出発。曇りがちな天気も次第に日が差して明るくなってきた。

海でご供養をしながら歩き、矢向庵主様が先回りして探して下さった民宿の一部屋をお借りして、昼食休憩をさせて頂いた。

今日のお昼は、再び佐藤上人様のお姉様の亜紀子さんが、秋田からたくさんの御馳走を持って来て下さり、風に吹かれ、寒い思いもせずに和気あいあいと美味しく頂戴した。

亜紀子さんと行進を離れ、宮古まで戻り用事を済ませることになり、少々時間がかかってしまい、全部終わって戻るころには、今日の行進も終わっていたけれど、今日の宿泊先近くで、「仏様が喜んでくれている気がする」と言って下さった方がいたそうで、宗旨宗派を超えて、ただ、亡くなった方に対して気持ちを向ける人に、寄り添うことが出来てうれしかった。
近くのお風呂を借りに行き、ゆっくりと体を温めて食事を頂き、夜になって忘れ物に気が付き、お風呂の施設に取りに行った。

お陰様で無事、忘れ物も取り戻すことが出来て、ホッと一息、今晩泊めて頂いた前澤さんのお宅は被災家屋で、それでも各地各国のボランティアを受け入れてこられ、実際に活動されている方だった。

2階のお部屋にも来られ、お話を聞かせて頂き、楽しく過ごした。
2012.04.19 4月14日
  

南無妙法蓮華経
小林さん宅を6時半に出て、山田町役場を7時にスタートした。

自転車の若い女性がこちらに興味があるようで、「一緒に来ませんか?」と誘ってみたりして、今日も和やかな始まりだった。

昨日お世話になった田村さんが、歩く我々を事務所から見送って下さり、歩く足取りも軽くなった。

昨年も通った海沿いの道を、気持ちよく歩いていると、去年お茶をご供養して下さった「海太郎」という民宿の前を通った。

すると、太鼓の音で今年も社長さんが出てきて下さり、昨年は震災後で中に入ること出来なかった建物の中に入れて頂き、今年もお茶とお菓子などをご供養して下さった。

歩き始めが早かったので、どこか途中で朝食を・・・、と考えていたので、そのまま場所を貸して頂いた。

お昼休みも楽しい出会いがあって、産直のお店(豊間根産直販売組合)の近くで昼食休憩をさせていただく時に、そのお店に買い物に来たおばあさんとお孫さんがいて、帰り際にお店で売っている大福をおばあさんが買って、二人のお孫さんがこちらに持って来てくれた。

仲良く半分に切り分けみんなで有難く頂戴して、休憩の間、産直のお店に顔を出すと、気さくな3人のおばさん方と色々お話が出来て、当時の様子や、このお店が土日だけの営業であることも聞いて、タイミングよく我々も、地物の野菜を買うことが出来た。

夕方、行進の初めのころ、茅ヶ崎でお世話になった生天目さんが、ネパールから来られて今年出家されるビシュヌさんを連れてきて下さり、一緒に宮古市役所まで歩いた。

土曜日であり5時にも近かったせいで、対応は特になったけれど、こちらからの手紙や資料を市長さんに渡して頂けるようにお願いした。

今日の宿泊先は真言宗の長根寺様。昨年に引き続きのお世話を頂く。
御住職様はお留守だったけれど、昨年同様に自由に使わせていただき、ゆっくりと有難く休ませていただいた。

「豊かな三陸の海を守る会」事務局長の菅野さんが来て下さり、色々資料を頂戴して、お話もお聞き出来て、貴重な時間を過ごさせていただいた。
2012.04.19 4月13日

南無妙法蓮華経
小林さんのお宅から今日も一日が始まった。
久しぶりに晴れて気持ちがよく、歩いていて汗ばむほどだったのが本当にうれしかった。
例によって、出発前に一枚、記念写真を撮り、車移動で、大槌町役場に向かった。

途中トイレ休憩で立ち寄ったコンビニで、我々の太鼓の音を聞き、走って小高い丘の家から降りてきた82歳のおばあさんとお話が出来た。

ご主人を亡くされ、津波や地震の被害からは免れたけれど、お一人で暮らしているとのことで、それでも82歳には全然見えず、背筋を伸ばして軽い足取りで歩いておられた。

歩いていく中で色々な方と出逢い、交流が生まれていく楽しさや喜びは、いつも感じるところだけれど、今日は特に印象的だったのが、今日の行進の最終地点である山田町役場に向かう前と後に、「豊かな三陸の海を守る会」の田村さんをはじめとして、地元の住民の方にお集まりいただき、意見交換が出来たことだった。

今回行進者の中に、静岡県島田市から参加の方がいて、山田町からの瓦礫を受け入れている関係があり、島田市民の感情としては、受け入れたくない思いが非常に強くあるにもかかわらず、市長が瓦礫受け入れに関して支払われる交付金の為に、瓦礫を引き受けているという事実があり、瓦礫に関して、道で出会う山田町の人たちに尋ねてみると、ほとんどの人が瓦礫がどこに行っているかを知らなかったことに衝撃を受けて、町役場で対応をしていただいたときにその話をすることが出来た。

当然山田町役場の方は、島田市に対して感謝の気持ちを持っていたけれど、実は山田町の役場で島田市に直接依頼したわけではなく、岩手県に瓦礫の撤去を依頼した結果、島田市が引き受けた、という事実が明らかになった。

実際、山田町では、瓦礫を自力で何とかすることが事実上出来ず、巷で言われているような、雇用問題の解決の為、その場所でごみ処理施設を作り、その場に住む人を雇用することも難しいという意見が聞かれた。

仮設住宅に関しても、1700ある仮設を作ったのは全部外部の業者で、地元の大工さんは昔からの職人タイプの為、短期間でプレハブを大量に作る技術も材料も持ち合わせてはいなかった、にもかかわらず、早急に対応しなければならなかった現実もあったことを聞かせて頂き、現実の複雑さと難しさを目の当たりにした。

役場の方にはこちらの意見を受け止めて頂き、その後、田村さんの事務所で地元の方と改めてお話することが出来た。

地元の方のご意見としては、まず何よりも、瓦礫の事よりも生活再建を優先してほしい!という気持ちが強く、全国的な支援が受けられるなら、まず土台を撤去して、仮設ではない生活の基盤となる住宅を再建したい!ということだった。
それにはまず、土台をとってかさ上げをして、住む場所を確保すること。
海で暮らしている者は、いつも津波は覚悟しているとのことで、全くもってその通り、行政機関はまずもって瓦礫を撤去しなければ始まらないように動くけれど、被災地の状況を実際に見て何が本当に必要なことかを全く理解していないことに気が付く。

あまりにも復興に時間がかかりすぎていることに対する不満を抱えながら、生きている間に生活再建を強く思う人のいかに多いことか、という意見を聞くことで、国と地元の温度差の激しさも実感することが出来た。

なによりもまず、人の命が最初。優先順位は生活再建!。

お集まりの地元の方には町議会議員の方もいらして、利権がらみである話をしたときに、今イチピンとこなかったようだったけれど、「モノ」より「命」に目を向けるべき、というこちらの意見に、議員の方にも、350億の復興財源のうち、半分以上が瓦礫処理に充てられていることに、違和感が生まれたようで、話初めは何となく違和感があった話し合いも、終わりにはお互いに理解し合うことが出来て、話し合うことの大切さと、粘り強く向き合いこと、お互いに気持ちを通わせようとすることの大切さを改めて感じた。

夕方になったけれど、最後は皆さんで海に向かい、お題目の紙を流して海で亡くなった方のご供養をさせて頂いた。


最後に皆で「祈り」を海に向けることが出来たことが、何よりうれしかった。
2012.04.19 4月20日の日程
4月20日の日程

岩手県久慈市アレン記念教会7:00出発~~

久慈駅東口~~45号線~~陸中夏井駅~~

九戸郡洋野町中野~~洋野町役場種市庁舎。32キロ
2012.04.18 4月18日の日程
4月18日の日程

7:30岩手県下閉伊郡普代村出発~~野田村役場~~

久慈市宇部町~~長内町~~本町~~久慈駅西口~~

久慈駅東口~~久慈市役所。23キロ
2012.04.17 4月12日
南無妙法蓮華経

今日は、釜石のトンネルを越えた所から出発。

去年も歩いたところを通るので、当時を思い出しながら歩いた。

瓦礫は片付いてはいても、土台がそのままだったり、瓦礫の山がそびえている中を歩いていると、自分がまるでパニック映画に出演している様な、映画のセットの中にいるような気になってしまう。現実の中にあって、いまいち実感が伴わない。

歩みを進めると、昨年も話が出てきた、箱崎トンネルを通った。
この場所は、夜になると数えきれない程の霊が海に向かってとびこんでいく姿が目撃された所だそうで、自衛隊の隊員がおかしくなって、何回も別の部隊が派遣され、そのたびに目撃され、隊員がおかしくなると云う場所だった。

トンネルをくぐる前にお線香を用意して、大きい声で御題目を御唱えしながら通った。

外に出ると、トンネルの脇の、下のあたりに昨年書かせて頂いた御題目のお塔婆があった。


海に近付いて行き、御供養をしていると、こちらを見ているわかめ加工のおじさんが、昨年のことを覚えていて下さった。

少しそこでお話しをしていると、ワゴン車から一人、お母さんが出てこられて、お話しを聞くと、娘さんの旦那さんが津波で流され、未だ見つからないとの事で、御供養させていただくことにした。

車に分乗して別の浜辺に出かけ、みんなで御題目の紙を撒いてきた。

可愛い男の子を残して旅立った御主人のことを、今もしっかり大切にしている。
色々な気持ちを抱えて、それでも前を見て進もうとしている人たちがいる。

海辺で御供養を終え、皆さんとても喜んで下さった。


そういえば、去年このあたりを御供養して以来、幽霊が出た、という話は聞かなくなった・・・。

という 有り難い話を聞いた。
4月17日の日程

岩手県下閉伊郡田野畑村宝福寺7:00出発~~

45号線~~普代駅~~普代浜海岸~~普代村役場。

23キロ

三閉伊一揆発祥の地、田野畑村。

今日から三閉伊伊一揆のシンボル的幟「小0」(こまるー困る)

を背負って歩きます。原発は「こまる」と、民衆の声を御上に伝えて行く。
2012.04.15 4月16日
4月16日の日程

宮古市田老総合事務所7:00出発~~45号~~

たろう道の駅~~摂待駅~~小本駅~~

たのはた道の駅~~田野畑村役場。  22キロ。
現在、日本国内では毎日のようにいたる所で講演会、署名、集会等を開き、原発の事について真剣に論じられております。
3.11以降、以前では考えられない程の多くの方々が原発の問題に関心を示しております。

しかし原発という利権の象徴を作り出した人間の心の問題を論じている団体は一つもありません。
仏教の言葉で一念三千というものがあります。人の一念によって三千の関連を持つものというものであります。

人の心の一念の欲望の火が、過去のヒロシマ ナガサキ、そして今回のフクシマという形となって現れた事は、私の様な若輩の言うまでもない事と存じます。
また、この人の心の一念によって世界が変わるものと信じております。

もし一人の人間の、たった一人の祈りでも、命がけで祈る時、世界の動きに全くの関連性をもたないとは誰も言う事は出来ないでありましょう。
今や米国でも英国でも平和運動の基盤に精神的な宗教的な軸なくして、大きなうねりとはなりえないという事に気づき始めております。

マハトマ・ガンジー翁は、インドの独立運動は宗教運動だと、はっきり断言されました。

私たちの行進は、確かに微力で頼りがなく何か子供遊びの様に見えるかもしませんが私たちは、この行進が日本を変える為の一つの糧となる事と信じております。

昨年のフクシマの原発災害が想定外ならば人智の及ばぬものに対して、我々は何をなすべきかと、問われた時に私たち宗教者は、デモでもなく、講演でもなく署名でもなく、只々、山川草木、国土世間、生とし生きる全ての者の仏性を祈っていく天を仰ぎ祈り、地を踏みしめ祈っていく、その一本につきると答えます。
それが効果が出ようが出まいが、誰が見ていようがいまいが、今、成さねばならぬ事を成すまでであります。

たとえ全世界の原発が廃炉となっても人の精神性の進化なくしては、ただのすりかえとなるだけでありましょう。

この時代に生きる大人の責任として次世代の未来の子供たちに残すべき遺産は負の遺産ではなく、人の良心であると考えます。

鶴の片羽では飛べぬが如く、車の片輪では走れぬが如く、平和運動家の脱原発運動と宗教家の民心作興運動の両輪がかみ合ってこそ広がりを持ち、大きなうねりとなるものと考えます。

横の繋がりのない各団体の運動家に息を吹きかけ生命を宿し、数珠つなぎに紡いでゆく事が我々の仕事と考えます。

それ故、少人数でも選ばれた人間が集まりました。

原発問題は、この一年が勝負と考えます。だからこそ、国民運動を盛り上げる為にもたとえ一人であろうとも動き始めました。

結果や効果、そして影響は後からついてまいります。合掌
2012.04.14 4月15日の日程
4月15日の日程

宮古市長根寺7:00出発~~みやこ道の駅~~出崎埠頭

~~浄土が浜~~崎鍬が崎宮古病院付近(昼休憩)~~

田老駅~~津波防潮堤~~田老漁港~~宮古市田老総合事務所。 21キロ。
2012.04.14 4月11日
南無妙法蓮華経


正寿院様を出発する前に、皆で記念写真を撮った。昨年もお世話になって、今年はより身近に感じる事が出来て、楽しく嬉しい時間だった。

歩き始め、一人の男性から御供養を受け取った。河野さんとおっしゃるその男性は、長い間、反原発で活動して来られ、昨日も我々の姿を見かけて、一緒に行きたかったけれど反対車線で、何処かで会えないかと思っていたら今日、家の前を通ったので出て来て下さったとのこと。

そこでしばらく話しこんでいると、犬を2匹連れた女性が来て、その方とも話しこんだ。
実は住職と奥さんの友人だったことが、跡から分かった。

共産党の方のお宅の前でも立ち止まり、脱原発の署名を頂いた。

しばらく行くと今度は、お婆さんと娘さんの二人に御供養を頂き、チラシをさし上げた。

今日は本当によく立ち止まる日だった。

釜石に入り、市内を行進。市役所に行き、対応を受けた。

秘書課の方や、受付の方はとても親切だったけれど、総務課の方が「特定の宗教は困る・・・。」と言うことで、建物の外に出る事になってしまった、

夜になると、お寺の奥さんから沢山のおかずを作って頂き、美味しく頂いた。河野さんも来て下さり、皆で食事をしていると、御住職ご夫妻が来て下さって、いろいろ話が広がって楽しい時間だった。

微々たる繋がりかもしれないけれどでも確実にお互いが喜び合える繋がりが生まれている実感が何よりも嬉しい。
4月14日の日程

山田町役場6:30出発~~45号~~大沢~~

豊間根~~津軽石~~高浜~~磯鶏~~宮古駅

~~宮古市役所。  27キロ。
4月13日の日程

大槌町役場7:30発~~安渡漁港~~安渡小~~

45号~~吉里吉里~~浪越~~前須賀海岸~~

岩手船越駅~~船越~~織笠~~陸中山田駅~~

山田町役場15:00~~田村さんと交流会 20キロ
南無妙法蓮華経


先日、福井県明通寺の中嶌哲演お上人様と電話でお話しさせて頂きました。

命の行進団の大飯原発再稼働に対して、すぐにでも政府の動きに対して、

直接行動に出たいという熱い思いを相談してところ、

「行進中にも関わらず、一食、あるいは二食のみの食事ではさぞかし辛かろう、

あなた方はとても大切な行進をなされているので、是非とも其処を離れず、

時と空間を超えて共に祈り歩いて下さい。」と優しく労ってくれました。

命の行進団のメンバーの中で、昼のみ食べる者、、夜のみ食べる者、あるいは

昼と夜だけ食べる者と、それぞれ体調にあった無理の無い軽い断食を5月5日、

泊原発が停止する日、しいては子供の日まで断行する覚悟でおります。

もし5月5日に日本の全原発が停止したならば、最上の子供の日のプレゼントになることでしょう。

我々の断食は決して苦行のハンストではありません。

今までの暮らし方に対する自己改悔であり、未来の子供達の事を思っての喜びの行であります。

合掌 佐藤
2012.04.12 4月12日の日程
4月12日の日程

釜石市鳥谷坂トンネル先8:00出発~~鵜住居駅

~~釜石東中~~根浜海岸キャンプ場~~箱崎町

~~45号~~231~~片岸町~~小鎚~~大槌町役場

~~231~~安渡~~大槌町赤浜。 20キロ。 
南無妙法蓮華経

いつもブログをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

毎日、皆、おかげさまで元気に歩いておりますが、このたび、代表の佐藤上人様の携帯の液晶が壊れたようで、画面が全く見えません。


電話としては使用できるのですが、出られなかった時に折り返すことと、メールは全く見ることができなくなりました。

ご迷惑をおかけしますが、何か連絡を取りたいときは、電話ならばとりあえずかけていただき、出なかった場合は、同じく代表の矢向庵主様の携帯

090-5758-8848

peace.yako.@docomo.ne.jp

にお願いいたします。

今日もたくさんの出来事がありました。

毎日同じ日はありません。

そんな日が、あと、ほぼ4か月あります(笑)。



行進者の中には、6キロ痩せた人もいます。

それでもみんな、元気に歩けることに感謝しながら、少しずつ春らしく、温かくなっていく東北を感じながら、頑張っていきたいと思います。
2012.04.11 4月10日


南無妙法蓮華経

本増寺様を7時半過ぎに出発。出がけに本堂前で記念撮影。御住職様と奥様、3番目の息子さんにお見送りして頂いて、お寺を後に後にした。

昨夜は行進団に、お一人お客様が来られた。
チラシを配りながら歩いているとき、お渡しした方から、「こんなことやってる人がいるよ。」とチラシを見せてもらい、携帯に連絡があり来て下さったのだけれど、なんとその方は、日本山のご信者さんだった。
 
千葉さんと仰るその方は、若いころ海外で日本山とご縁があり、その弟さんも東京にいて、日本山の道場によくお参りされ、行進団の中にもよくお会いすることがある方だった。
この度、特にご案内をお送りしたわけではなかったけれど、チラシを見たことによって、連絡をくださったので、チラシの威力を実感した。

そして千葉さんが今朝早く来て下さり、我々の荷物を出発地点まで運んで下さった。


今朝は日差しもあり温かさを感じて、歩きやすかったけれど、後半に風が出てきた。

歩いていると、昨年の記憶がどんどん蘇ってくる。

昨年立ち寄った老人ホームは47名が亡くなったそうで、そこで塔婆を立ててご供養をしたけれど、今年も行ってみると、塔婆がわきに置かれていたけれどしっかりあった。

隣の支所にご挨拶にお邪魔すると、支所の職員の方がとても丁寧に応対して下さって、ソファーで休ませていただきながら、細かいお話を色々と聞かせて頂くことが出来た。

本日と明日の2日間は、昨年もお世話になった曹洞宗の正寿院様に泊めて頂く。

昨年、いきなり飛び込みで宿泊のお願いをしたところ、二つ返事でお引き受け頂いたご縁で、今回は2日間の世話になる。お寺に着くと奥様にお迎え頂き、御住職様もお母さんも、皆さんお元気なご様子で、食事のご供養もいただいた。

お食事を頂く前に、車でお風呂に出かけた。そこで一緒になったおじさんに話しかけられて、しばらくお話をすると、去年も我々の姿を見かけたそうで、地元に住んでいるのではなく、青森の大間から6人の仲間と共に、仮設の内装の仕事をしに来ているそうで、そこのおじいさんやおばあさんのお話を聞いてあげることもよくあるそうだった。

大間の出身ということで、原発について尋ねてみると、「原発?いらないよね。」と仰っていた。
4月11日の日程

岩手県大船渡市三陸町吉浜・正寿院出発7:30~

唐丹町~~小白浜~~平田公園~~45号~~

釜石駅~~釜石市内~~岩手県釜石市役所。 21キロ
2012.04.10 4月9日


南無妙法蓮華経

朝6時から本増寺御住職と共に朝勤に参加。その後朝食を頂き、7時に出発。

今日は午前中、車を運転する係となり、大船渡市役所に向かう行進団から少し離れて、用を足しながらの伴走となった。

出来るところの用事を済ませて市役所で合流。太鼓をたたきながら市役所に入っていくと、職員の方が3人ほど外に出ていて、「ここでは太鼓は困ります。」と言われ、宗教の勧誘などと勘違いされた?様だった。

そこでこちらも、決して勧誘目的などではなく、この度の震災を受けて、宗教宗派を超えて、世界中から集まった人たちが、放射能の恐ろしさを訴えながら、祈り歩いている行脚団であることをお話すると、分かって頂けたようで、それでも、「今頃は、どこのお役所でも宗教団体を受け付けない」旨をおっしゃるので、今までの市役所の対応をお話した。

市役所でトイレを借りて、少々休憩させていただき再び車に乗り込んだ。

昨年は大船渡も魚の臭いがひどく、瓦礫に埋もれる様だった街並みだったが、もうすっかりかたづけられ、何もない・・・。

車で移動しながら、用事を一つ一つこなしながら、行進団に合流した。

次に休憩した場所は、昨年ご遺体を見つけたところで、再び昨年の様子を克明に思い出した。

昼食休憩の後、歩き出すと家の中から、涙を流しながら合掌して下さるおばあさんがいた。

その後も近所の男の子が通りかかり、少しお話をした。

今日は少し早めに切り上げて、帰ってきた。
2012.04.10 4月8日


南無妙法蓮華経

今日は釈尊降誕会。
ボランティアの方の基地(住田基地)を6時過ぎに出発。

今日は、以前ご参加くださった前田宣明さんが、夜行バスで参加して下さると連絡を受けて、到着した駅まで迎えに行った。

途中コンビニでそれぞれの朝食を買い、車の中で食べて、歩き出した。

天気はいいけれど、風が冷たい。なかなか暖かくならない。

前田さんと合流し、ご供養をしながら歩きながら、風がよけられて、昼食が食べられる場所を探していると、あるお宅の前で、我々にご供養をして下さる方がいたので、その方に昼食休憩の場所を探していることをお話すると、快く中に入れて頂くことが出来て、食事を頂きながらお話を伺うと、「かもめの玉子」というお菓子を作っているさいとう製菓の専務さんのお宅だった。

当然、震災当時の話になり、専務さん自身がカメラで津波の模様を録画していてそれをまとめた30分ほどのVTRをみんなで見せて頂いた。

静かに、あっという間に町を飲み込んでゆく津波の様子が克明に記録されていて、改めて津波の恐ろしさを実感し、ネパールからの御出家方々も、画面にくぎ付けだった。

ビデオを見ていると、にぎやかだった街並みの映像が映し出されていたけれど、ご供養をしながら行脚している我々が見慣れているのは、瓦礫や、何もなくなった後の景色で、津波の後の荒涼とした景色が当たり前に感じることが何とも皮肉なことだと思う。

海に向かい、ご供養をしていると、地元の男性がきて、一緒にご供養をしていただくと涙ながらに喜んで下さった。

「さまよっている仏も、だいぶ成仏したと思います。これからもご供養を続けて下さい。」と言って下さった。

今日の宿泊先は、日蓮宗本増寺様。

一足先に荷物を置きにお邪魔すると、奥様がお迎え下さってご説明を頂いた。

御住職は出かけていて、夜に戻るとのことで、その時にまたあらためてご挨拶することにして行進に戻った。

行進団でお寺に到着し、夜に御住職とお目にかかり改めてご挨拶をして、お話を伺うと、藤井日達聖人様と深いご縁があることが分かったりさまざまや活動を通して、平和活動をしてこられ、今に至ることをお聞きし、この行進団ともご縁がつながって嬉しく思い、明日の宿泊先がまだ未定なので、厚かましくもお願いしてみると、特別に許可を頂くことが出来た。
2012.04.10 4月7日


南無妙法蓮華経

朝8時過ぎに、2日間お世話になった半造レストハウスを出発した。

今まで伴走車として使用していた車が、本当は荷物を載せて人を運ぶタイプのものではなかったため、今迄無理を承知で働かせていたのだけれど、これから先が長いので、こちらに向かって来られるご参加の方に、大きめのワゴン車に乗って来ていただき今迄の車と交換したところだった。

だから、今日が初めて、新しいワゴン車に荷物を詰めることになっているので、果たして荷物が積み切れるかどうかが問題だったけれど、何とか積み込めたようで、一安心して出発し、いざ松岩に到着するとあろうことか、タイヤが1本さっそくパンクしてしまった。

みんなで早速タイヤ交換をした。

歩き始めるとにわか雪・・・。風も冷たくて、今日も冷蔵庫の中を歩いているような寒さだった。

途中、仏具屋さんからお布施を頂き、檀家になっているお寺が近くなので、ぜひお参りしてほしい。」と声をかけられ、いざ行ってみたら、自分の知っている方だったので驚いた。

気仙沼市役所で、佐藤上人のお姉様と娘さんが昼食を差し入れて下さり、市役所の中で一緒に頂いた。

歩いている中で、昨年お会いした方とまたお目にかかることが2回あった。

お一人は、酪農家の方で、車で近所に買い物に行く途中だった。

牛に食べさせる稲わらを、震災後やっとの思いで集めたのに、放射能の基準値がコロコロ変わるため、国に対して激しい憤りを感じているらしく、手に震えがくるほどの怒りや不安を感じているのが分かった。

それでも我々の姿を見つけて下さって、喜んで下さったのでこちらも嬉しかった。

それから又歩き出すと、今度は去年、大勢で歩く我々を呼び止めて、お茶をごちそうして下さったおばあさんが、また我々をお茶に読んで下さった。
昨年一緒にもてなして下さった、近所のおばあさんも姿を見せて下さって、久しぶりの嬉しい再会となった。

お茶は勿論、家にある食べ物を惜しみなく出して下さって、お二人のおばあさんのお心遣いに胸が熱くなった。

今日の宿泊先は、住田基地といって、ボランティア団体を受け入れる、元小学校、今は公民館を町から借りている建物。

全国から来られているボランティア団体同士が、お互いに気持ち良く過ごせるように色々と取り決めがあるようで、就寝時間は夜10時、気象は朝6時と厳しいけれど、その時間は有無を言わさずゆっくり寝られる楽しみもある。
ゆっくりと休ませていただこうと思う。

2012.04.10 4月6日


南無妙法蓮華経

今日は休息日。ということで、それぞれ思い思いに仕事をしたり、やらなければならないことを片付けたりして過ごした。

お昼には、もち粉があったので、ヨモギを摘んで草もちを作り、それだけでは寂しいので何も入ってないものは勿論、コーヒーや紅茶、抹茶や練りごまや黒ゴマなどを練りこんで、小豆餡をかけたおやつを作って食べたりしながら、過ごした。
4月10日の日程

岩手県大船渡市三陸町綾里海水浴場8:00出発~~

恋し浜~~甫嶺駅~~三陸町越喜来~~

大船渡市三陸町吉浜~~正寿院。 20キロ。