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4月9日

本増寺7:30出発~~大船渡市役所~~赤崎町

~~蛸ノ浦~~綾里小路~~綾里大明神。 21キロ
4月8日の日程

陸前高田市役所8:00出発ーー141--38--

脇の沢ーー米崎町ーー陸前小友ーー細浦駅ーー

大船渡駅ーー大船渡市役所ーー本増寺。  21キロ
2012.04.06
4月5日

南無妙法蓮華経

高徳寺様を7時半過ぎに出発。

今朝は御住職様の朝の御勤めに御一緒にお参りさせて頂き、その後震災当時のお話を伺った。

今回お世話になった仮の本堂は、鉄骨を組み上げた物に、材料を張り付けて作ったもので、2週間で立ちあがったそうで、津波が来た時には本堂が流されて2回グルグルと回り鉄道と山の間に流された。

流された本堂から、檀信徒の皆さんが探し出して下さり、御本尊や丸柱などを今の仮本堂に安置することができたけれど、御本尊は洗うことが出来ないので、奥様が刷毛で泥を落としたそうだった。

高台に移転しなければならないことになっているけれど、場所がまだ決まっていなくて、檀家の8割が被災したため、本堂の御寄附をお願いも出来ないとの事だった。

出かける前に、御住職様ご夫婦と共に写真を撮って高徳寺様を後にした。

晴れたり曇ったりの変わりやすい天気で、歩いていても油断できない感じだった。それでも変わらず海まで進んで行き、御供養をしながら歩いた。

3月31日からご参加下さった井上さん御夫妻も明日の朝までとなって、我々に昼食を御供養して下さるとのことで、久々に暖かいものを頂くことが出来た。


その後も風に煽られながら、突然の雨や雪に驚きながら歩き、コンビニでトイレを借りて、休憩した。

そこのコンビニでは、店員さんが感じがよくて、トイレをお借りする時、一声かけると、「今日は晴れてよかったですね。昨日は風がひどくて大変でしたね。」と言って快くトイレを貸して下さった。

言葉一つで元気にもなるし、がっかりもする。言葉はとても大事だ。伝えるならば、心をこめて真実を語って行きたいものだと思った。

昨年も通った道で、昨年ご供養して下さったお店の方が、今年もご供養して下さって、覚えていて下さったことが嬉しかった。

その辺りで、東京から酒井上人様と池田上人様、ネパールから男女二人の御出家の方々がこの行進に合流したので、一気に4名増えて、総勢12名となった。

今日の宿泊先は、昨年もお世話になった、唐桑半島の半造(はんぞう)レストハウスに2日間お世話になる。

今日は行進途中で洗濯もしたので、1日かけて洗濯ものを干したいと思う。

休みではあっても、やることが山積みなので、要領よく片付けたいと思う。
2012.04.06 4月4日
 

南無妙法蓮華経
大徳寺様を7時半ごろ出発した。

昨夜から風がものすごく強くて、出かける時も雪交じりの強い風に、正直なところがっかりしてしまったけれど、大徳寺の御住職様やお母さまから笑顔でお見送りを頂き、記念に写真を一緒に撮ったりして、今日も一日をしっかり歩こうと思った。

大徳寺というお寺は、南三陸町の中でも古刹で、不動明王がお祀りされていて、地域の方の信仰を集めていて、「横山不動尊」として有名な寺院だった。
週に1回のお茶飲み会をしながら地域の方々とのふれあいを大切にされているとのことだった。

車で昨日の終点である、南三陸町役場跡まで移動し、そこから歩き始めたけれど、ものすごく強い風で、大げさではなく息もできないほどの強さ

寒さで体力も落ちて、かなり疲れた。

去年も歩いたところを歩いて懐かしくて、その時にお会いした方と、お目にかかりたいと思っていたけれど、なかなかタイミングが合わずに残念だった。
昨年泊めて頂いた、お寺の御住職を訪ねて、近くまで寄ってみたけれど、御住職は仮設住宅に入居されたということで、お目にかかることはできなかった。

次の日に、その御住職から電話を頂いて、お元気そうだった。
実は昨年、お経を上げて御供養したあと、数々御遺体があがったそうで、今年も女性の御遺体があがったということだった。昨日は風が強く、海も荒れ模様だったので、それで海から上がったのかもしれないけれど、もう1年以上経って、身元が分かるということもすごい事だと思った。

今日の宿泊場所は曹洞宗の西光寺さま。

本堂と庫裡を津波で流されてしまい、震災直後から物質的な支援ではなく、精神的な支援をなさって来られ、最近は少しお疲れとのことで、骨休みをしようとしていたところに、今回一夜の宿をお願いしたところ、檀家さんが昨年の我々の姿を見かけていたようで、また、御住職様方も、今迄皆さんにお世話になってきたから、ということで、快く我々を受け入れて下さった。

お寺に到着したときは、御住職はお出かけになっていて、奥様がお迎えして下さった。

お茶を頂きながら、当時の事を伺って、一息ついてから近所の旅館にお風呂を借りに行った。

行進中で問題になることの一つがお風呂と洗濯の事。

寒い時期だから、歩いても汗もかかないので毎日入らなくてもいいと思っていたけれど、、実は毎日寒くて雨や雪、強風の毎日なので、体を温めるために銭湯などお風呂を探すのだけれど、被災地に入れば入るほど、問い合わせても震災後は営業していないところが多く、
また、コインランドリーも石巻など大きいところにはふんだんにあったけれど、コンビニによって聞いてみると、「乾燥機はあるけれど、洗濯機はない。洗濯したいなら志津川まで行かなければ…。」ということだった。

何故乾燥機だけか?というと、仮設住宅にはテレビや冷蔵庫、洗濯機は準備されているので、乾燥機だけあれば事足りる様だった。

震災当時は水不足で大変だったことを聞いていたし、昨年は我々も水を手に入れるのが難しかったけれど、今回お世話になった旅館では震災後、避難所として機能していて、今では作業に来ている方々の宿と共に、一般のお客さんも来るようになり、お風呂も24時間入れて、洗濯機も貸して頂けるように対応していたので、有難い存在だった。

ゆっくりとは入れなくても、湯船に浸かるだけで体の疲れが溶けていくようだった。

お風呂を出て、お寺に戻ると終わった洗濯ものを乾燥機にかけるため、寄り道した。

お寺に戻り、食事を頂き、仮説とは思えないほど立派で広い本堂に、ゆっくりと休ませて頂いた。
2012.04.06 4月7日
4月7日の日程

松岩駅8:00出発ーー気仙沼市内ーー5号線ーー

54号線ーー45号線ーー福伏から海岸線へーー

気仙成田山ーー陸前高田市役所跡。  21キロ
4月5日の日程

陸前港駅7:30出発ーー陸前小泉駅ーー小金沢駅

ーー大谷海岸ーー最知駅ーー松岩駅。 21キロ
2012.04.04 4月3日
 

南無妙法蓮華経

林業生活支援センターを朝7時にスタートした。
歩き出してすぐに、ここの集会所をお世話して下さった西条幸正さんのお宅にお邪魔してご挨拶をした。

そこまで行くのに、木が倒れて道をふさいでいたりして、大変だったけれど、漁師をしている西條さんは本当なら猟に出かけているところを、船の調子が悪かったそうで、お宅にいたのでご挨拶に寄ることが出来てよかった。

今朝確認した天気予報では、台風並みの風の強さで、夕方には雨が降るとのことだったので、なるべく早く宿泊先に着きたいと思いながら、それでもしっかりと手を抜かずに、海によってご供養をしながら歩いた。

今日歩いた場所は、昨年も通ったところなので、昨年休憩させていただいた場所で、また休憩させていただいたり、「ここの仮設でお話したなぁ」と懐かしく思いながら歩いた。

398号線と45号線がぶつかるところに、セブンイレブンが仮設で営業していて、たぶん営業再開したばかりのころは、商品も揃わず大変だったことだろうけれど、今は建物こそプレハブでも、品揃えは普通のコンビニと変わらないようになっていて、近辺の方々もホッとしていることだろうと思った。

南三陸町に入り、昨年もご供養をした病院の前に行き、今年もご供養をした。

昨年書いたお塔婆が、花の中に埋もれていたけれど、ちゃんとそこにあって、嬉しく思いながら、また次のところに向かうため街中を歩いていると、確かに瓦礫はかたづいてはいるけれど、ただそれだけ。全然手が回っていない現実を見るにつけ、問題の大きさを改めてここでも感じた。

それでも、昨年は水が出ないで困ったことが多かったけれど、今年はどこでも蛇口をひねれば水が出るので、改めて、飲める水が出るということは、すごいことだと思った。

南三陸町役場後から車移動で今日の宿泊先の曹洞宗大徳寺様に到着。

このころには雨も降りだし、風も強くなり始めてきたけれど、お寺に早めに着くことが出来たので、いつも通り(?)ずぶ濡れになることもなく、御住職のお母様に温かくお迎え頂き、ホッと一息つかせていただいた後、近くのお風呂に出かけた。

ひなびた温泉で、とても素敵なところだった。お湯にゆっくり浸かった後、脱衣所でボランティアに来ているキリスト教の牧師さんと出逢い、しばらくお話をした。

皆お湯から上がり、いざ帰ろうとしたとき、今日の強風に木が倒れ、通行不能ということで迂回路はあるけれど、50分かかるとのことで、御住職から「携帯もつながらない山の中・・・」とのお話だったので、恐る恐る形態を開けてみると、アンテナがしっかり立っていたので、電話をして遅くなる旨を伝えて、車で迂回路経由で帰ろうとしたら、お客さんの中にチェーンソーを持っていた人がいて、あっという間に切り刻んでくれたので行きと同じくらいの速さで帰ることが出来た。
2012.04.04 4月2日


南無妙法蓮華経

3日間お世話になった(笑)照源寺様からスタート。

3日間も同じ場所にいることが出来るというのは本当に有難く、快く居場所を提供して下さった御住職様を始め、お寺の方々に、心から感謝して歩き始めた。

歩き始めてすぐに、お寺のすぐ近くの仮設にお住いの阿部宗悦さんのお宅にご挨拶に伺った。

先日は、雨の中を女川原発まで会いに来て下さって、我々のことを心配して下さって有難かった。
記念にみんなで写真を撮ったりして、尽きない名残を惜しみながら出発となった。

雄勝の五十鈴神社から歩き出して、北上川沿いの大川小学校によって、ご供養をした。

ここでは多くの小学生が津波の犠牲となってしまい、今では小学校に慰霊の供養塔が経っていて、沢山のお花が手向けられていた。

その大川小学校に近づき、いざご供養をしようというときに突然、突風が吹き荒れだして、驚くほどだった。

手に持つ団扇太鼓を風に取り上げられそうなほど、風にあおられて持っていられないほどの強い風の中、何とかご供養をお勤めさせていただき、北上川を渡って向こう岸へ渡ろうとすると、まだまだ風は止まず、ますます勢いを増すばかりで、風にあおられて川に落ちるのではないかと思うほどだった。

橋も何とか渡り切って、堤防沿いを歩いているときも、かなりの突風で気を抜いたら体ごと飛ばされそうなほどだった。

堤防の途中に壊れている建物があって、強風をよけながら、そこでしばしの休憩を取った。

そのまま堤防を進んでいくと、かなりの被害があり大勢の方々が亡くなられた北上総合支所が見えてきて、そこに焼香場所が設置してあったので、皆でお線香を立ててご供養をした。

そこにはアンパンマンのお菓子やおもちゃなどが並べてあり、大人用にお酒の瓶も数々並んでいて、お線香をあげる人も、上げてくれる人を待っている方も、どんな思いかと思ったら泣けてきた。


今日の宿泊場所は、林業生活支援センター集会所に泊めて頂くこととなった。

大きいストーブがあり、とても暖かでゆっくり休めたけれど、寝入りばなに地震があって驚いた。
2012.04.03 4月1日 


南無妙法蓮華経

2日間お世話になった照源寺様からスタート。朝から天気が良くて気持ちがよかった。

歩く道すがら、仮設住宅の前を通りかかると、そこにお住いの方々が何人か集まっていて、そこで立ち止まりしばらくお話をした。

どんなことでここまで歩いて来たかをお話すると、仮設にお住いの方から、食事はどうしているのか?とか、泊まるところは?などと質問を頂いたりして、また、こちらから困っていることはないか?と尋ねると、支援物資も以前に比べて入ってきにくくなってきたそうで、買い物に行きたくても、近くにスーパーなどがないため、ご近所同士で車に乗り、買い出しに行かなければならないとのことだった。

歩みを進めて、昼食は以前は避難所として使っていた、公民館で場所をお借りして頂いた。

最近は、人もあまりよらなくなってきたそうで、それでもカラオケの機械があったりマージャンなどの器具もあって、厳しい避難所生活で皆さんの慰めになっていたことだろう。

お昼のおにぎりを頂きながら、地元の方とお話をして、午後のスタートを切ろうとしたら、
午前中のいい天気がすっかり曇ってしまい、風も冷たくなってきた。

歩き出してしばらくすると雨が降り出し、やがて雪になって又雨になった。

雄勝の硯工場跡付近で海に向かってご供養する前に、さーっと弱い雨が降り出し、「何だか涙雨の様だな・・・。」と思いながらご供養を始めると雨は降りながらも次第に晴れてきて、虹がかかった。
この場所では亡くなられた方が数多くいたそうで、お経と共に、虹の橋を渡って霊山浄土へ向かってほしいと願いながら、お経が終了して、最後にお題目三唱、お唱えすると同時に虹も消えてすっかり雨が晴れて、こちらの思いを聞き届けて頂けたかな?と思い感動した。

そこから雄勝の支所まで歩き、そこでは地元の商店がプレハブで営業を再開し始めているので、少しでも地元のお役にたちたい思いと、冷えた体を温めたい思いから、石巻名物の焼きそばをみんなで頂いた。

いうまでもなく、美味しかった。
4月4日の日程

南三陸町役場前7:30出発ーー本浜ーー大森崎

袖浜ーー金秀寺ーー平磯ーー荒砥ーー清水浜ーー

歌津町役場支所ーー館浜ーー稲渕ーー長須賀ーー

泊浜ーー名足小ーー田の浦ーー陸前港駅。 22キロ


南無妙法蓮華経
照源寺様を車でスタート。8時から断食祈念スタート。

車で女川原発のギリギリまで入っていったら、案の定関係者以外立ち入り禁止で、引き返して駐車場の角の辺りで座ることにした。

準備をしていると、警備会社の方2名と、県警の方が来られ、「何をするんですか?」と質問されたのでチラシを渡してお話をすると、県警の方は申し送りがされていたようで、またこの原子力発電所前で御祈念するのは3回目なので「どういうことをするかはわかってますので、特に問題ないです。ただ、車の通りもあるので気を付けて下さい。」とのことで、たかが3回、されど3回、怪しい団体ではあっても、問題は起こさないことはわかって頂いているようだった(笑)。

座り始めてはじめは曇り空だったのが、次第に突風が吹き荒れ、雨も本格的に強くなり、敷いていたブルーシートもマットもびしょ濡れで、水たまりが出来るほどの中、御祈念をした。

ただ、警備会社の方はご苦労なことに御祈念が終わるまでの間ずっと、我々のすぐ近くで、ずっと立っていたので、帰りがけに「本当にお疲れ様でした。」。と声をかけた。

昨日お邪魔した、阿部宗悦さん親子が来て下さり、北海道から、日蓮宗の大塚上人様も来て下さって、天気は悪くても賑やかだった。

断食祈念が3時まで、その後放射能で汚れた海を清める為、お神酒とお題目を書いた短冊をまくことを2か所で行い、その後、昨年泊めて頂きお世話になった佐々木さんご夫妻のところにお邪魔して、久しぶりの再会でしばらく話が弾んだ。

ご夫妻ともお元気そうで、我々もびしょ濡れの衣類を着替えさせていただき、冷えた体を温めさせていただいて、おまけに夕食まで御馳走になってしまい、申し訳なかったけれど、とても楽しい時間だった。
2012.04.03 3月30日
南無妙法蓮華経

早朝、石巻駅に中嶋繁子さんが行進に合流して下さった。
中嶋さんは、昨年も一緒に歩いてご供養をして下さったので、また一緒に歩くことが出来てうれしい。

法山寺の副住職様が、午前中行脚に同行して下さって、市役所から歩き出し、まずは日和山に向かった。

本当に久しぶりに、歩いていても寒さを全く感じなかった。むしろ汗をかくほどの陽気で、これから春に向かっていき、だんだん暖かくなるということをすっかり忘れていた。
この様気がずっと続いてほしいと願った。


港が一望できる日和山から町の景色を見下ろすと、去年の瓦礫は片づけられて、きれいさっぱりとなっていたけれど、日和山から階段を下り、町の中に入っていくと、瓦礫がない分見晴らしがよくなって、それでもこんな景色ではなくて、それぞれに生活があり、それぞれの人生があったのだと思うと、実に複雑な思いだった。

街の中を横切り、日和大橋を渡ったところで法山寺の副住職様とお別れした。

途中休憩を入れながら歩き続け、午後3時に、女川原発反対同盟代表の阿部宗悦さんと、娘さんで、町議の美紀子さんにお話を聞きに、大川第1中学校にある仮設住宅を訪ねた。

 仮設住宅は、一人当たり4.5畳ということで、その一部屋の中に阿部さんを始め、なんと!我々8,9人が入り、お話を伺った。

そこで、阿部宗悦さんから、原発の反対運動に参加された経緯を伺い、娘さんの美紀子さんから、女川原発を間近にして暮らしている住民の方が、原発をどう思っているかを聞いてみると、今回の大震災により住民の7割が津波、1割が地震の被害により、合わせて8割が人口流失している状況だそうで、日々の暮らしを立て直すのに必死で、原発反対を言うゆとりがない、とのことだった。

また町議会では、美紀子さんを始め、原発反対を主張する議員さんは2名、他は賛成派ではあるけれど、今のご時世表だって賛成とは言わないとのこと。

地元の方は、「あれ(原発)さえなければ復興は早いのに・・・。」と言っているそうだけれど、生活に追われて反対という意思表示もままならない。

反面、女川から40キロ離れた農村の人たちが、女川原発の事を自分たちの事として捉えてくれて、働きかけてくれるそうで、わが痛みとして感じて下さることが、お話を聞いていても、とても嬉しかった。
2012.04.02
大飯原発再稼働に反対し断食祈念に入られた中嶌哲演上人、並びに経産省テント村の「原発いらない福島の女達」に共鳴し、命の行進団も食事を一日一食あるいは二食に制限し祈り歩くことにしました。
4月3日の日程

石巻市北上町大指林業センター7:00出発ーー長清水

小藤浜ーー近東ーー滝浜‐ー戸倉神社ーー志津川ーー

南三陸町松原公園ーー南三陸町役場。  18キロ
2012.04.01 3月29日


南無妙法蓮華経

今朝、こんな話を聞いた。

天皇陛下が今回の大震災の1周忌に際し、お言葉をのべられた。その中には放射能の脅威や原発に対しても言及があった。

アメリカではそのまま報道されたのに、日本のマスコミも報道はしたけれど、天皇陛下の原発や放射能に対するご意見は全てカットして流したようで、アメリカで大問題になっていると、アメリカに住む日本人の方から教えて頂いた。

天皇陛下の言葉すらそのまま報道しない国。そこまでしなければならないほど、切羽詰っている状況で、いよいよもって真剣に立ち向かわなければならないと、覚悟を決めた。

大飯原発の反対活動を長い間なさっている、中嶌哲演明通寺御住職は、この度ご自身の体調も顧みず、お断食祈念に入るとのことで、まさに命がけで原発を止める為にご精進されている。すべての命を守る為に原発を止めたいものと、自分の欲の為に、なんとしても原発を稼働させたい者とのせめぎ合い。

とにかく、真剣にお題目をお唱えしていくしかない。

今日は、一人行進に加わってにぎやかになった。

食の大切さや添加物の事から、原発の問題まで幅広く、自分で作った紙芝居を持って、全国を歩き回っているAKOちゃん(男性)が参加してくれて、最後広島まで一緒に歩いてくれるとのこと。

昨年もずっと一緒に歩いてくれて、我々に様々な情報を提供してくれたAKOちゃん、今年も楽しく歩くことが出来そうで楽しみ。

石巻に入り、浜辺に向かって歩いたけれど、大曲地区は、瓦礫もほぼ昨年同様で、荒涼としたままだった。

昼食を、大曲コミュニティーセンターで取らせていただき、しばし休憩した。
職員の方が快く中に入れて下さって、本当に助かったし、有難かった。


今日の行進のゴールである石巻市役所に到着する前に、名取で先日お泊め下さった、太田さんご夫妻が来て下さって、差し入れをたくさん持って来て下さった。

石巻市役所では約束無しでまた挑戦したけれど、市長はお留守で、手紙を預けてきた。
 
今日の宿泊地は曹洞宗法山寺様。
今回初めてお世話になるところだけれど、こちらも電話1本で快く引き受けて下さった。

食事も用意して下さり、有難く頂きながら、用を済ませてお帰りになった御住職様や副住職様に大変お世話になった。

近くのお風呂にお世話になり、帰って来てから副住職様としばらくお話をすることが出来た。

石巻の曹洞宗では近々に街中を行脚する計画を立てているとのこと。

実は石巻市内では、震災後、幽霊を目撃することが増えているそうで、例えばタクシーにお客さんを乗せたものの、降りるころには誰もいなくなっていた・・・とか、被災して以来開けていないスーパーマーケットに夜になると、カートを押す人が出る…。とか。

幽霊がこの世にいるかいないかが問題なのではなく、確かに見た、と仰る人に対して、少しでも安心して頂けるように、ということで行脚をし、ご供養をしようということで、是非とも今回限りではなく、継続して続けてもらいたいものだと思った。

副住職様と、かなりゆっくりお話が出来て非常に楽しかった。
2012.04.01 3月28日


南無妙法蓮華経
塩竈道場を、本当は7時半に出発するつもりが、ついつい名残が付きなくて、8時に出発となった。

花田お上人様や庵主様を始め、ご信者様方に見送られて今日も行進がスタートした。
快調な滑り出しで、45号線を目指し、松島方面に向かった。

陸前浜田駅でトイレ休憩し、松島の五大堂まで進む。
途中で観光客のおばさんに、遊覧船乗り場を尋ねられたりしながら、昨年は被害が少ないと言われながらもお土産物屋さんが閉まっていた松島も、もうすっかり今迄通りで、お客さんも戻ってきているようだった。

途中、海に向かってお題目の紙を撒く時に、昨日からお世話頂いている篠田さんご夫妻が来て下さって一緒に海に向かってご供養した。

高城町からお一人、女性の方がご参加されて、男性4名、女性4名となってにぎやかになった。

それから東松島に向かって歩き出すと、途中の手樽あたりで、天童さんご夫妻と岩井川さん、メルビンさんが秋田から昼食のご供養を届けて下さって、有難く楽しく頂戴した。

この方々は、毎年命の行進で大変にお世話になっている方々で、お顔を見るとホッとして、リラックス出来る。

歩く自分たちの事をいつも気遣って下さり有難い。

昼食を終えて、野蒜まで歩く。

ここの野蒜小学校では、体育館に避難した方々が津波に飲み込まれ、まるで大きい洗濯機のように渦を巻いていた、と話に聞くところで、野蒜の海でも数多く亡くなっている方々がいるとのことで、1年経って、悲しみや苦しみがさらに濃厚になってきた気がして気分が落ち込み気味になる。

小学校の体育館の前でお自我偈をお唱えして、亡くなった方へのご供養をしていると、終わってから、作業に来ていた方々が頭を下げて下さった。

それから本日の宿泊のお世話を下さった、定林寺様に向かった。

今日はこちらのお寺様で、旅館を予約して下さったので、まずお寺にご挨拶にお邪魔して、その後お茶を頂きながら、自己紹介を兼ねてご挨拶をした。

最後に一つ、質問させていただいたことがある。

それは、電話1本で我々の行進を受け入れて下さったけれど、それは何故か?

すると御住職は、一言。


「ここはお寺だから、頼まれればどんな人でも受け入れるのが当たり前・・・。」

とのことだった。

有難く感じながら、懐の深さを感じて心から感謝した。

今日の宿泊地は、定林寺様のご縁の旅館だった。お寺に泊めて頂くことはよくあるけれど、わざわざ旅館を手配して下さることはめったにないので、申し訳なく思いながらも、お世話になった。

旅館の息子さんから、震災当時の話を聞かせて頂いた。

その日はちょうど、野蒜小学校の近くにいたそうで、地震が起きてすぐに子供たちを探しに小学校に行き、すぐ近くの親戚のお宅の様子を見に行って、津波に巻き込まれたとのこと・・・。
おじさんが1階で寝たきりの状態で、2階に引き上げようとしたけれどどうすることもできず、諦めて、2階に逃げたけれど、そのおじさん自身もマットの上に横になっていたので、浮き輪代わりになって助かったそうで、何事もなくて本当に良かったと思った。

旅館では自炊をして、その後ゆっくりとお風呂で体を温め、休むことが出来た。
4月2日の日程

宮城県石巻市雄勝町雄勝小8:00出発

398--大川小学校(供養)--

新北上大橋ーー398--石巻市役所北上町支所

ーー相川小ーー林業生活センター  20キロ