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4月1日の日程

照源寺7:00出発ーー女川街道ーーマリンパル女川(供養)

398号(ブルーライン)ーー尾浦町ーー御前浜ーー雄勝小

ーー石巻市役所雄勝町支所。  22キロ
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2012.03.30
3月31日の日程

女川原子力発電所前終日断食御祈念

  8:00~16:00

天気は雨の可能性有り。参加者はマットとカッパを
持参ください。
2012.03.29 3月30日の日程
3月31日の日程

石巻市役所7:30発ーー羽黒山鳥屋神社ーー石巻小ーー

湊中ーー395号ーー女川第一小学校・仮設住宅(現地の人と交流)

マリンパル女川にて供養ーー女川役場。 20キロ 
2012.03.29 3月29日の予定
3月29日の予定

定林寺8:00出発ーー45号ーー鹿妻駅ーー矢本駅

大曲ーー玉造り神社ーー大曲小ーー45号ーー陸前赤井駅

398--石巻市役所 22キロ
2012.03.29 3月28日


南無妙法蓮華経
塩竈道場を、本当は7時半に出発するつもりが、ついつい名残が付きなくて、8時に出発となった。

花田お上人様や庵主様を始め、ご信者様方に見送られて今日も行進がスタートした。
快調な滑り出しで、45号線を目指し、松島方面に向かった。

陸前浜田駅でトイレ休憩し、松島の五大堂まで進む。
途中で観光客のおばさんに、遊覧船乗り場を尋ねられたりしながら、昨年は被害が少ないと言われながらもお土産物屋さんが閉まっていた松島も、もうすっかり今迄通りで、お客さんも戻ってきているようだった。

途中、海に向かってお題目の紙を撒く時に、昨日からお世話頂いている篠田さんご夫妻が来て下さって一緒に海に向かってご供養した。

高城町からお一人、女性の方がご参加されて、男性4名、女性4名となってにぎやかになった。

それから東松島に向かって歩き出すと、途中の手樽あたりで、天童さんご夫妻と岩井川さん、メルビンさんが秋田から昼食のご供養を届けて下さって、有難く楽しく頂戴した。

この方々は、毎年命の行進で大変にお世話になっている方々で、お顔を見るとホッとして、リラックス出来る。

歩く自分たちの事をいつも気遣って下さり有難い。

昼食を終えて、野蒜まで歩く。

ここの野蒜小学校では、体育館に避難した方々が津波に飲み込まれ、まるで大きい洗濯機のように渦を巻いていた、と話に聞くところで、野蒜の海でも数多く亡くなっている方々がいるとのことで、1年経って、悲しみや苦しみがさらに濃厚になってきた気がして気分が落ち込み気味になる。

小学校の体育館の前でお自我偈をお唱えして、亡くなった方へのご供養をしていると、終わってから、作業に来ていた方々が頭を下げて下さった。

それから本日の宿泊のお世話を下さった、定林寺様に向かった。

今日はこちらのお寺様で、旅館を予約して下さったので、まずお寺にご挨拶にお邪魔して、その後お茶を頂きながら、自己紹介を兼ねてご挨拶をした。

最後に一つ、質問させていただいたことがある。

それは、電話1本で我々の行進を受け入れて下さったけれど、それは何故か?

すると御住職は、一言。


「ここはお寺だから、頼まれればどんな人でも受け入れるのが当たり前・・・。」

とのことだった。

有難く感じながら、懐の深さを感じて心から感謝した。
2012.03.29 3月27日
 

南無妙法蓮華経

今朝早々に、一人ご参加の方が来られて、行進団は日蓮宗経王寺様を出発。

家の近くをお題目をお唱えしながら歩くのは、そんなにないので新鮮だった。

国道45号線を、歩みを進めて七ヶ浜へ入った。
コンビニでトイレ休憩をして、さらに歩みを進めると、風景がどんどん被災地の様子に変わっていく。

去年歩いていても、瓦礫が片付いた広い土地に、土台だけの景色が広がりなんともいえず物悲しい。

昨年同様、海のすぐ近くまで行き、ご供養の短冊をまいているが、その帰りに昨年トイレをお借りして休ませていただいたガソリンスタンドが開店していたので立ち寄ってみると・・・。

ガソリンスタンドのおじさんが、この行進団の事を覚えていて、久しぶりの再会となった。一生懸命地域の人たちの為に頑張ってきた様子で、それまでのご努力に、頭が下がる。

今日歩いたところは、昨年印象的なおじさんと出会った場所で。今年も会えるかな?と期待したところだった。

そのおじさんは、長年漁師をしていて、昼食を頂く場所を探す我々に。快く自宅を貸して下さった方。

残念ながら今年は会うことはできなかったけれど、もしかしたら家を取り壊さなければならなかったかもしれないし、とにかくおじさんが元気でいてくれることを祈った。

風の強い中昼食を頂き、今朝からご参加の方とお別れして、また歩き始めた。

塩竈市役所に、いつもの通り飛び込みで入って、受付の方に事情をお話したら、思いがけず副市長さんが逢って下さるとのことで、そこで我々の行進の意義や、塩竈の今の様子を伺った。

市民の為に何が出来るかを懸命に模索しながら、決して弱音は吐けない立場であるため日頃の気苦労も多いことだと思いながら、市民と国との間に立って努力をし続けている姿に、頭が下がる思いだった。

塩竈市役所から、本日の宿泊場所である日本山妙法寺塩竈道場まで移動した。

ここには、こと位sの12月で102歳になる庵主様と息子さんであるお上人様がいらして、有難いことにご信者さん方と、仙台道場の二宮上人様がお出迎えをして下さって、楽しく夕食を囲み、ゆっくりと過ごさせていただくことが出来た。


南無妙法蓮華経

日本山妙法寺の仙台道場を、朝7時に出発。
今年も二宮上人様とご信者様方に、2日間大変お世話になった。
何時も温かくお迎え頂き、1日は休日とさせていただくので、肉体的にはともかく、精神的にはゆっくり休むことが出来た。

いいお天気で一安心。出発前に、お仏舎利塔の前で写真を撮り、可愛い赤ちゃんをおぶった若いお母さんが少しの間行進に参加され、9時過ぎに東北電力本店に到着した。

本日はここで、3時までお断食祈念をさせていただく。

昨年の失敗は、警察に届け出ることが出来なかったため、道路使用許可が下りず、ぎりぎりまで粘ってもどうしようもなかったので、県庁前の公園での御祈念となった。

今年は去年の失敗を踏まえ、仙台道場のご信者さんにお願いをして、許可の申請をしていただいていたので一安心だった。

東北電力と歩道の境目ぎりぎりにシートを敷き、横並びで一直線に座り、唱題行を始めた。

道行く人の反応は、はっきりとはわからなかったけれど、攻撃や批判の為の行動ではないということが分かってもらえると嬉しいと思いながら、今日も強い風の中、じっと座っていた。

すると次第に、というか、一転にわかに掻き曇り、雪がちらちら舞ってきた。

それでもすぐに上がって日差しが戻り、ホッとしたけれど、今度は空は晴れていても日が差さなくなってきた。

それは、東北電力の建物に向かって座っているため、始めと終わりはともかく、長いこと座る時間帯は見事に日陰になるから・・・。
窓ガラスを数えてみると、28枚までは数えられたので、単純な話28階建て?ということになる。そびえたつ巨大企業の建物に向かって、7人ほどの人が、横一列で寒空の中、太鼓をたたいて座っている姿は、傍からすればどう思うだろう?と考えると、面白かった。

にわか雪が何度かやってきてそのあとは晴れる、を繰り返していると、そのうち本格的に吹雪のようになってきた。

これも通り雨ならぬ、通り雪?だったけれど、かなりの勢いだったので、どうなる事かと思った・・・。

今日もかなり寒かったけれど、その為か、あっという間に時間が経ってしまい、あともうすぐで3時になるころ、警察官が3名くらいやってきた。

始まるときも、その途中も誰も来なかったのに、あと30分ほどのところで

「ここ、歩道ですけど・・・。」みたいな声をかけてきた。

今回は、あわてず騒がず(笑)、水戸黄門の印籠のように道路使用許可証を見せると、何も言わず、というか何も言えず、拍子抜けするほどあっさり帰って行った。

やはり、許可さえ取り付ければ、若干めんどくさくても何かの時に揉めずに済むので、重要なことだったと思い、改めて準備して下さった方に感謝した。

3時に断食御祈念を終え、その足で、以前から脱原発を訴え、活動してこられた、法運寺御住職、梅森上人様を訪ね、いろいろお話を伺った。

お忙しい中、時間を割いていただき、今回の原発事故の事から何時から原発の危険性について考えるようになったかなど、お話を伺ってとても勉強になった。

今だって正確な情報が伝わっているか怪しい時代に、知りたい情報が隠されてしまっている時代に、原発の利便性や安全性を刷り込まれている大勢の人たちからすれば、その危険性を主張していくことは、やはり波風が立つことだっただろう。


起きたことに関しては後から色々言えるけど、これからどうしたらいいか、となると答えが一つではないのが悩ましい、と話して下さった梅森上人様の言葉が心に残った。

お忙しい中、出かける時間を都合をつけて下さり、お話をして下さったお上人様をお見送りして、その後奥様に見送って頂きながら、本日の宿泊地、日蓮宗経王寺様へと向かった。

帰る前に、奥様ともいろいろお話が出来て、楽しかった。お茶を出して下さり、寒さで震えながら座っていた我々に温かくもてなして下さった奥様にも心から感謝をしながら車に乗り込んだ。
2012.03.26 3月28日の予定
3月28日の日程

宮城県塩釜市日本山妙法寺7:00出発ーー45号――陸前浜田駅ーー

五大堂ーー松島町役場ーー27号ーー手樽駅(昼食休憩)--東名駅

ーー野蒜小学校にて供養。-ー定林寺。 20キロ
2012.03.26 3月27日の日程
3月27日の日程

宮城県宮城野区経王寺7:30出発ーー45号ーー10号ーー七ヶ浜菖蒲田浜にて供養。

ーー38--七ヶ浜水産センターにて供養。昼食。

七ヶ浜ーー汐見保育所ーー笠神5--23号ーー45号ーー塩釜市役所ーー本塩釜駅

ーー千賀浦緑地ーー梅宮・日本山妙法寺 25キロ
2012.03.26 3月24日


南無妙法蓮華経
名取の太田さん宅を、朝7時過ぎに出発した。

昨夜から降り続いた春の雪がかなり積もっていて、驚いた。

水気を多く含んでいて、次第に溶けかかってくるので履いている足袋がかなり濡れてしまった。

それでも、気にしないようにして歩き続けた。津波の後、一晩中濡れたままで過ごさざるを得なかった方々の事を考えれば、どうということはない。

瓦礫が撤去されて、土台しか残ってない町(だったところ)を、どんどん歩いていき、中学校近くのコンビニで、トイレを借りながら休憩させてもらおうとしたら、「ご供養なら、他でやってくれ。」と言われてしまい、トイレは貸してもらえたけれど、長居するのは迷惑そうだったので、すぐにでも出発しようと思っていたら、清掃局の方々が車で来られ、閖上大橋の辺りで我々の姿を見かけたらしく、声をかけて下さった。

清掃局の3人の方々は、震災当時それぞれに家を流されたり、大変な思いをそれぞれにされているとのことだったけれど、仕事柄懸命に頑張ってこられたことをお聞きして深く感動しながら、その当時、やはりそれぞれに気持ちの行き場がなくて、食って掛かる人もいたようだったけれど、そこは腹を立てず、仕事をしている側も被災して、お互い様だということを穏やかに話すと、「あぁ、そうだねぇ・・・。」とわかってくれることもあって、みんな大変だった・・・。とお話し下さった。

こちらがもっているせんべいなどのお菓子を差しあげながら、しばらくお話し出来て楽しかったけれど、コンビニからすれば、立ち話だけで何も買わなかったので、申し訳なかったかもしれない。でも、言葉の使い方ひとつで相手に伝わるかどうかが変わってくるのでとても大切なところ

再び歩き出し、お昼は禅宗のお寺で取らせていただいた。
土曜日で法事が多く、その合間を縫って我々にご協力して下さって深く感謝した。

後は、市内の繁華街を通り、県庁へ向かった。

生憎土曜日で、県知事は勿論お休みで、留守番の担当者の方が対応して下さった。

世の中の気運は反原発、脱原発の意見がたくさん寄せられている。
県知事の意見はどこにあるかを尋ねると、「国が判断する状況を見守り」、対応していくようで、その担当者の方は、個人的にどう思っているかを尋ねてみたら、やはり同じように「エネルギー問題を解決するには、原発が大事だけれど、個人で判断するのではなく国の判断に従いたい。」とのこと。

結局自分の意見は、国の言うとおり・・・。ということだった。

自分は、どう考えるか・・・。主体性がないと、後々困ることになるのに・・・。


そのあとは、今日の到着地点である日本山妙法寺の仙台道場に向かった。

仙台、というか宮城県に入った時から、それまでの緊張感がほどけてしまい、聞いてきたその場その場の声をしっかりとお伝えしないことには、亡くなった方々の魂が浮かばれない。

でも、町の中で、バスを待つ人達は、もうすっかり他人事の様で、いまさら何をしに来たか、的な雰囲気だったけれど、、その中で一人だけ、合掌して下さったおばあさんがいて、それ以外は全くの無関心。

普段、仙台に住む自分としては、普通に住むにあたっては何の問題もないけれど、いざ、行進のような、人と違う行動を起こす人にとってはとても冷たい場所だと気が付いた。
3月26日の日程

日本山妙法寺仏舎利塔7:00出発ーー(6.5キロ)--東北電力前8:30

東北電力前断食祈念9:00~15:00

東北電力ーー(45号・8.5キロ)--福室17:00発。 
2012.03.24 3月23日
  

南無妙法蓮華経
岩誓寺様を7時半過ぎに出発した。

可愛いお孫さんのお見送りを受けて、尽きない名残を惜しみながらの出発となった。

歩き始めて広い通りで信号待ちをしていると、四つ角にあるコンビニに車を止めて、「写真撮ってもいいですか?」と女性が声をかけてきた。

こちらの事に関心を持って下さって、しばらく立ち話をしていると、その方もフェイスブックをやっているそうで、後でご覧いただくようにお願いして、「よかったらコメントしてくださいね。」とお願いした。

本日の行程として、仙台空港近くのトンネルを通った。ここは沢山の方々が車ごと津波に流されて亡くなった場所なので、心してお題目をお唱えしながら歩いた。

トンネルの真ん中あたりで、みんなで順番にお線香をお供えしてご供養のためのお経とお題目をお唱えした。


目には見えないけれど、人の思いがトンネル中に詰まっている気がして、何とも気持ちが重くなった。

去年も歩いたところなのに、瓦礫が片づけられただけで、ずいぶんと印象が変わってしまい、一瞬どこかわからなくなったりするけれど、色々なところでお話を聞くと、地元の方でも風景が変わって、目印となるものがないので迷うことがあると伺った。

その場所に住む方でもそうなのだから、自分たちがわからなくても無理はないようなもので・・・。

また、去年は慰霊ということで、緊張しながら歩いていたので、周りの景色に目を向けることはなかったけれど、今年は周りに遮るものが全くないので海や山がはっきりと眺めることが出来て、何とも複雑な気持ちになる。



発見された場所でご供養をさせていただき、お昼には閖上の公民館を改造?した「まちカフェ」という情報交換の場所で、昼食休憩をさせていただくことが出来た。

そこにいた伊藤さんと仰る女性から、昨年3月11日当時の生々しい体験を聞かせて頂いた。

その方は、なんとご自宅の前で津波にのまれてしまい、木にしがみついていたそうだった。

「もう、だめかもしれない」と思った時、一輪車が流されてきてすぐ近くで止まったそうで、その上に上がることが出来たので、水に浸かっていた体がさらに水の外に出すことが出来た時、「もしかしたら、助かるかもしれない・・・。」と思えたそうで、何かに助けてもらった、と思ったそうだった。

津波が来てから水に浸かり。たすけてもらえたのは夜中の12時を回っていたそうで、一番寒かったのは、救出のボートに乗っているときだったそうで、水に濡れた体が風で冷やされて、本当に寒くて大変だったとのこと。

地震から1年以上たつ今、その時に経験した出来事は、人の数だけある。

優劣を競うことはないけれど、そこで間一髪助かった方と、残念ながらなくなってしまわれた方がいるのも事実。

亡くなられた方の命を無駄にすることだけはしないようにしたい。



名取市役所まで歩き、市長さんに要請書を渡して頂くことにして、本日私たちを泊めて下さる、太田さんのお宅に移動した。

昨年も色々とお世話を頂いた太田さんのお宅で、本当に我が家のようにゆっくりと寛がせていただくことが出来て、昨年も行ったお風呂屋さんで、冷えた体をゆっくりと温めて帰ろうとしたら、おととしの「命の行進」でお世話になったという男性とばったり出会った。

その方は福島原発が見える場所にお住まいだった方で、今は宮城県の村田町に住みながら、原発反対の活動をしているとのことで、その方曰く「正しいことをしていれば、いつかこうしてまた縁がつながるんだ。」と仰って、先日福島でお世話になった新妻香織さんの事もよくご存じで、意識が研ぎ澄まされていると、色々な形でつながることが出来るし、ご縁も深まるものなのだと改めて実感した。

毎日が、本当に楽しく新鮮なことばかり。
2012.03.23 3月22日


南無妙法蓮華経

天気予報では、今日は日中温かく、朝晩の気温の差に注意するように、とのことだったのに、確かに天気は晴れだったけれど、またまた猛烈に風が強くて、春分の日も過ぎて、こんなに風が強いと、春一番どころではなく、春2.3番でもおかしくないくらいの風の強さだった。

旬采館を出発する前に、南部さんご夫婦と一緒に記念撮影をした。
今の時期は、亘理では北寄貝の炊き込みご飯が有名で、こちらのメニューでも当然あり、昨夜御馳走になって、味の良さは皆が納得するものですから、是非とも食べに来てほしい!、とコマーシャルをしてしまいますが(笑)。

今日も信成さんが昼食のご供養をして下さり、お昼に有難く頂戴して、その後2時に昨年もお世話を頂いた太田さんとおばさんが来て下さって、津波の犠牲となられたご親族のご供養をさせて頂いた。

連日の風の強さに、今日も体を持って行かれそうになりながら、必死で太鼓をたたき歩き続けた。

今日の終点は岩沼市役所。

ダメもとで市長さんに会えないかを聞いてみたけれど、残念ながら出張中とのことで、要請書はお渡しした。

なかなか暖かくならないので、体が冷え切り指先が感覚的に少しおかしかったりするけれど、皆それぞれに頑張っているこの頃。

今日の宿泊先は、昨年同様岩誓寺様。

昨年は夏の時期で、雨に降られてしまった覚えがあるけれど、今年はまだまだ寒いので、部屋にストーブを焚いて、我々を待っていて下さった。

御住職は外出されていてお会いできなかったけれど、他のご家族の皆様はお元気で、何よりだった。

ご飯も炊いていて下さって、至れり尽くせりのおもてなしを頂き、有難い限りだった。

明日は岩沼から名取に入る。
次第に仙台が近づいてくる。緊張などはないけれど、1日1日をしっかりと過ごして行こうと思う。
2012.03.22 3月21日


南無妙法蓮華経
山元町役場より歩き始める。
7時前に岩佐さんが来て下さって、色々話が出来て楽しいひと時だった。

今日は、もう亘理に入り昨年も通った場所、道なのに、瓦礫で覆われ、悲しみに覆われていた風景が、瓦礫が片づけられ山積みになり、土台だけが残る景色となっていて、瓦礫を片付けたことが、次に繋がるため、とは何だか結びつかなくて、とりあえずどかしてみた。という感じに思えて何とも不思議な気持ちがしながら歩いていた。

たまに家の形がしっかりとあるところがあって、そこは人が住んでいるのか?と思い近づいていくと、ガラス窓はブルーシートに覆われていたりで、まだまだ人が住める状態ではないことがわかる。

コンビニでトイレ休憩をしていると、信成さんがまたも昼食をご供養しにわざわざ来て下さった。
今日も風が強く、外で食べるにはなかなかたいへんではあったけれど、鳥の海の港に引き上げられている船の陰で風をよけながら、ご供養いただいたお握りを有難く頂いた。

今日も、体がもっていかれそうなほどの強い風に体だけでなく、心も折れそうになった(苦笑)。それでも負けずに太鼓をたたき続けた。

高架橋の下で少し休憩していると、パトカーに乗った警官が2人来て、いわゆる職務質問をされた。
スコットランド人を含め、見るからに怪しい集団ではあるけれど(笑)、大震災から1年経って、ご供養の行脚とこれから何事もないように、全国の原発を祈り歩いていることをお話しすると、一人の方は地元山元町出身の方で、とても喜んでくれて、知り合いを津波で亡くし、このお彼岸でお墓参りにも行ってきたそうで、制服を着ていても、職務を離れ、一人の地元の方として喜んでくれたことが、何よりも嬉しかった。

そのまま歩き続け、今日宿泊させていただく場所である、「農家レストラン 旬菜館」に到着。今日は3時には行進が終わるという珍しい日だったので、近くのコインランドリーに行き、車の調子が悪いので、岩沼まで足を延ばして修理してもらいに出かけた。

こちらの旬采館の南部さんは、我々のサポートをして下さっている藤田さんから電話を頂いただけで、我々を受け入れて下さった。

今の世の中からすれば非常に珍しく、こちらにとっては非常に有難い方なのだけれど、こちらで、これから宿泊するに当たりまだ決まっていない場所に連絡をすると、最近のお断りの言葉が「人の好意を当てにする人は、お断りします!」と言われることが多い。
それも寺院や教会で・・・。

別に泊めないから悪い、ということではありません(笑)。でも、人は一人では生きられないし、お互いに関わりあっている以上、お互いを大事にすべきではないのか?と思ったりして・・・。真っ先に困っている人を助けたり、力になる場所がお寺や教会なのではないか?と思っていたので、まるで逆のことを言われると、驚きと共に多少がっかりもしますが(笑)。

そんなことを言われてしまえば、我々などは一たまりもないのだけれど、親戚でも知り合いでもないのに、こうして2つ返事で泊めて下さる方々もいらっしゃることが、我々が次に歩みを進めることが出来る、大きな力となっていることも事実です。

とにかく、こういうものだ!と思われている常識を、いい意味で裏切っていくのが、あるいは緊張状態にあるときに、いかに肩の力を抜かせるかが、我々のやるべきことではないか、と思うこのごろ。

つらさの中にも、少しでも楽しみを見つけていきたいものです。
2012.03.22 3月20日
  

南無妙法蓮華経


新妻さんのお宅を後にして、とにかく今日は、頂いた力を祈る事、真剣にお題目をお唱えすることに集中しようと思い、歩いた。

昨年も歩いたところだけれど、瓦礫が撤去されていて、土台だけが残る中、道の両側がガランとした中をを歩き、自動車学校が被災し大勢亡くなられた場所に今年も通りかかると去年我々が立てた塔婆がまだしっかりと残されて立っていた。

お彼岸中でもあるのでお参りにきているらしく、ジュースや生花などがお供えされており、もう、それを見ただけで涙が止まらなかった。

今晩泊めて頂くところはなんと!去年休憩させていただいたところで、そこのおじさん(岩佐さん)も我々を覚えていて下さって、喜んでくださった。

コンクリートの店内に寝袋を敷き、休ませていただいた。
みんな寒くて、体が冷え切っているので、近くに調べてもお風呂屋さんがないので相馬まで戻り、昨日お世話になった場所にみんなで出かけた。
2012.03.22 3月19日


南無妙法蓮華経
晴れたけれど、風が猛烈に強くて寒くて、思わず笑ってしまうくらい、冗談のような風の強さだった。

今日も信成さんが、昼食をご供養しに来て下さって、去年も昼食を頂いた体育館のような場所に、今年は中で食べることが出来るとあって、この強く冷たい風の日に、本当に有難いことだった。
今日は行進の距離が割と短かったのか、早めに宿泊場所に着くことが出来た。

二日間お世話になった、斉藤イネさんとも深いお付き合いのある、市議会議員の新妻香織さんに玄関先でお迎え頂き、ご挨拶をしてお宅にお邪魔した。

若い時から色々と活動をされていたそうで、エチオピアに木を植える基金「フー太郎の森基金」というのを立ち上げ、今は今回の福島原発の事故から、このままにしては置けないと立ち上がり、市議会に立候補して、なんと当選順位3番目で初当選されたということだった。

それまでは、市民運動で世の中に働きかけようとしてこられたそうで、それでも市民の声を届けるには届く場所に行かなければ!という思いから、今迄嫌っていた政治の世界に飛び込んで、見事当選となったとのこと。

今回の震災では家の二軒先まで津波が来て、目の前の墓地は倒れがれきで埋まり、海に遠い西側が瓦礫で埋まった。
同級生が4人亡くなり、生き残った自分は「働け!」と言われていると感じたとのこと。
選挙の2か月前に家族の大反対を押し切り
居ても立っても居られない思いが同級生を動かして、手伝いをしてくれたとのこと。

福島、そして相馬を1ミリでもいい状態にして子供たちに引き渡すことが目標で、そのために自分に限界を設けない生き方をしているそうだった。
「無理」とは言わない。やれることは何でもやる。と仰った新妻香織さんの姿は我々にとっても、大きな希望と感じた。

御主人ともお話をすることが出来たけれど、とても柔軟な考え方で、素敵な方だった。
2012.03.22 3月18日


南無妙法蓮華経。

今日は歩みを進めて、昨年も歩いて行った20キロ圏内ぎりぎりのところまで歩いた。

するとそこには、昨年我々が書いて、電柱に括り付けてきた塔婆が、そのままの状態で残されてあった。


それだけで、胸がいっぱいの一日となった。
2012.03.22 3月17日


南無妙法蓮華経
信成さん宅を後にして、歩き出す。信成さんが、お昼の食事の差し入れをして下さるとのことで、仮設住宅地の中にある集会所で頂くこととなった。

朝から雨模様で、屋根のある場所で食事が頂けるのは有難い。また、その集会所はそこの仮設住宅に住む方々の憩いの場所となっているそうで、昼食は各自の部屋で取り、1時過ぎにはまたここでお茶を飲みながらお話をするというので、その輪の中に、少しだけ混ぜて頂いた。

おばあちゃんと一緒に来ていた、逢空(あいく)君がとても可愛かった。多くの人と出逢い、同じ空の下で生きている、という意味が名前に込められていると伺って、被災して大変な思いもしたけれど、大勢の方々に助けられて、可愛がられたことから、我々の姿を見ても泣きもせず、ニコニコしていたのが印象的だった。

しばしお集まりのお爺ちゃんお婆ちゃんたちとお話をし、記念撮影などして、そこから歩みを進めて、南相馬市役所を表敬訪問した。

この行進団の歩いている意味をお伝えして、そのあとに職員の方に意見を聞かせていただきたいと振り向けると、窓口の担当の方からのお話で、何が足りないのかが分かった。

市の職員として、やらなければいけないことは沢山あって、救援物資をもらうことで、甘える人間と、そうじゃない人が出てくる。
どう自立した生き方が出来るのかのサポートをしたいが、対応できる人数が少なく、何をどうしたらいいのかが分からない・・・。とのことで、これからますます、宗教の重要性が問われることになるのだと思った。

本日泊めて頂くところは、リサイクル業をなさっている斉藤さんのお宅。
お邪魔した早々に、ちょっとした交流会のような話し合いとなり、思いがけず楽しく有意義な時間を持つことが出来た。

今、福島が置かれている現状と、そこに住む人たちが抱えなければいけない問題は、決して他人事ではなく、確実にすべての生きものの上に降りかかってくる。それでもなお、見ないふりや感じないことにして、全てを福島の事だけで終わらせようとする人たちも少なからずいる。

そんな中で、自分達の責任と考え、これ以上子供たちが苦しまないように、少しでもより良い福島を残していきたいと頑張る方々とご縁が出来て、こちらも大いに勇気を頂くことが出来た。
2012.03.20 3月23日の日程

3月23日の日程

岩沼市下野郷7:00発ーー10号ーー仙台空港内トンネルーー杉ヶ袋

ーー小塚原ーー閖上ーー名取市サイクルスポーツセンター跡ーー

129号ーー名取市役所 15:00         19キロ
2012.03.20 3月22日の日程
3月22日の日程  

逢隈十文字7:00発ーー123号ーー亘理大橋ーー10号ーー

早股ーー二の倉海浜プールーー相の釜運動公園ーー相の釜橋

ーー空港南5--125号ーー玉浦小ーー岩沼市役所16:00 23キロ
2012.03.20 3月21日の日程
3月21日の日程

山本町役場7:30発ーー山下駅ーー38号ーー

開墾不動明王ーー築港通りーー鳥の海都市公園(昼食)

ーー荒浜ーー123号ーー逢隈蕨ーー逢隈十文字16:00 22キロ

南無妙法蓮華経

今年も3日間、お世話になった日蓮本宗本法寺様を後にして、歩き出した。
渡利を通っていくと、昨日も顔を出して下さった、熊坂さんという男性が、ご自宅から走って出てきて下さって、少しお話をした。

渡利は放射線量がとても高く、家の中でも0.8~2マイクロシーベルトあるそうで、避難区域かというとそうではないそうで、山の上の方から順番に除染が行われていくとのことだったけれど、避難したくても、行った先で仕事がなければ生活が出来ず、意味がないという現実があり、なんとも言えない・・・。

更に足を進め、公園で休憩していると、そこの植え込みに立てられている看板に

「この場所は、除染が終わりました。」と書いてあった。

でも、除染をしたからといって、すべて終わりになるわけではないし、今でも放射性物質がばらまかれている状況で、水に流し除染をしても場所が移るだけで、汚染された水が地下にたまり、海に流れ、汚染が循環していくだけの事。

そこに気が付かないのか、何も考えられないのか?


そこの公園で休憩の後、再び歩き出すと、今度は道端で二人のおばあさんに出会い、しばらくお話をした。

一人のおばあさんからは「今迄ここに4,50年いるけど、お坊さん方が歩いて来たの見たの、初めてだ。」と言われて、それぞれのおばあさんからお布施を頂き、また通りすがりのおばあさんからもお布施を頂き、疲弊して、苦しみの中にいる福島の方々は、顔では笑っていても、何かにすがりたいほど苦しんでいるように思えた。

途中、放射線量の高い霊山(りょうぜん)地区を車で移動し、距離を稼いで、相馬市役所に向かった。

いきなり飛び込みで入っていき、受付の方に命の行進の説明をして、市長さんにお会いできれば・・・、とお話しすると、残念ながらアメリカに出張中とのことで、企画政策課長さんが出てきて下さり、会議室に通されてお茶を頂きながらしばらくお話をすることが出来た。
震災後の今までの取り組みや、今後の展望などをお聞きしながら意見交換、とまではいかないまでも、こちらの思いなどもお話をして、とても有意義な時間だった。

でも。

話の中ででてきたり、一般的に使われているところの「基準値」という言葉、その国によってかなり差がある。

実際のところ、それこそ何を基準にしているのか。

考えてみれば、今回の震災や天災からなる低線量の長期被ばくは初めての事だから、誰にもどうしたらいいのかわからない。
どうすればいいのかという方法論はあるけれど、どれを当てはめればいいのかわかってはいない。

誰にとっても一番いい選択をすべきだと思う。


先ほどの企画政策課長さんは、実は今晩お世話になる方の家のすぐ近くにお住まいとのことで、昨年も我々の姿を見かけていたそうで、驚きながらも、不思議なご縁に感謝しながら市役所を出た。

南無妙法蓮華経
昨日の福島県庁前のお断食祈念も無事に終わり、今日はこの行進2回目の休日だった。
それぞれに、貴重な休日を有意義に使ったようだった。


ということで終わらせるのはもったいないので、飛ばしてしまってけれど、避けては通れない浜岡原発の印象を書きたいと思う。

浜岡原発前でのお断食祈念は、3月4日の事。
前の晩から、浜岡原発の停止を訴えてきた伊藤実さんのお宅にお世話になっており、数々の興味深いお話を伺うことが出来た。

中でも、個人的にお聞きしたかったのが、反対活動をすることによって、ヤクザは勿論、警察にまで脅しや威嚇をされて、数々怖い目にあっているとのことで、たいていは心が折れてしまい、そこで諦めてしまう所を、伊藤さんは何故、今迄活動し続けることが出来たのか?ということだった。

すると伊藤さんは、今迄活動してくることで、いろいろな係わりの方々から支えられてきたからだ、とおっしゃったのが印象的だった。

人はお互いに支えあいながら、助け合いながら生きている。それはどんな状況でも同じなのだ。


そんなお話をお聞きした次の日、午前中は薄日が差していたのに、午後からは雨が強くなっていった。
震災以前から、よくテレビなどで聞いていた浜岡原発を、この目で見るのは初めての事で、どんなところかと思っていたら、今まで見た原発の中でも、かなり開かれている印象を受けた。
中でもPR館の施設がとても立派なものでしかも無料、日本でもトップクラスとのことだった。
原発館と、風力発電のPR館からなっていて、これだけ危険だとか、廃炉にしようとか言われている今でも、子供連れのお父さんお母さんが、ピクニックや遊園地に行く感じで続々やってきていて、昼ごろには駐車場がほぼいっぱいになるほどのにぎわいだった。

平和ボケ? それとも何も考えてないのか?
中部電力に要請書を渡そうとするときも、最近の状況だと緊張状態で、すったもんだがあるのかと思っていたら意外なほどあっさりで、間に入った方も穏やかだったので、つい軽口を聞いてしまいそうになるほどだった。

お断食の合間に、原発館の中を見学しに行くと、原発の仕組みが細かく示してあり、実物大の模型が映画のセットのように組み上げられていたり、エレベーターで展望台に上がると、実際の原発施設が一望でき、まさに、「開かれた原発」だった。

何も知らない人が見学に行けば、「都合のいいこと」が楽しくわかりやすく書いてあり、足を運ぶことによって、みんなが「原発最高!」と誰もが思うだろうと思った。

原発があることによって生み出されるもの。良くも悪くもそれによって成り立ってきた浜岡の町。
原発を誘致することで生まれる恩恵に与ってきた生き方を見直し、もう一度構築しなおすことが出来ると有難い・・・のだけれども。
3月20日の日程です。

尾浜南ノ入8:00出発ーー松川浦・原釜(供養)--38号ーー

駒ヶ嶺ーー釣師浜ーー磯浜ーー中浜小ーー坂元駅ーー山本自動車学校跡

ーー6号ーー山本町役場 20キロ
海沿いを慰霊行脚いたします。海に御神酒とお題目の短冊を供養させていただきます。

3月19日
8:00南海老出発ーー北海老ーー蒲庭ーー磯部ーー新田
    --岩子(昼食)--和田ーー尾浜まで20キロ。

3月20日
8:00尾浜出発ーー原釜ーー38--389--6--
    駒ヶ嶺ーー新地役場ーー中浜小ーー坂元駅跡ーー山本町坂元字南原
    20キロ。
2012.03.16 3月18日の日程
3月18日の日程です。

海沿いの道を歩き、海に御神酒とお題目の短冊を撒き、供養させて頂きます。

南相馬市役所8:00出発。--原ノ町駅ーー262号ーー6号ーー

北泉ーー下渋佐ーー雫(警戒区域境界線)--小浜ーー74号ーー鳥崎

ーー南海老大森

17:00到着予定。 全行程25キロ
2012.03.16 3月17日の日程
3月17日

相馬市大曲8:00出発。ーー121号ーー道の駅そうま。

ーー6号ーー永田交差点ーー陸前浜街道ーー南相馬市役所 

16:00到着予定。 行程20キロ
2012.03.16 3月16日の日程
3月16日の日程です。 福島市新町・本法寺8:00出発。――(115号)--霊山市役所支所まで15キロ。
此処から山間部を車移動(30キロ)ーー相馬市山上多目的集会所まで。
山上多目的集会所からーー(115号)ーー相馬市役所まで6キロ。
其処から宿舎まで2キロ。17:00到着。
南無妙法蓮華経

今年も日蓮本宗本法寺様にお世話になり、2日目の朝を迎えた。
天気がよくてホッとしながら、このまま天気が一日持ってくれると有難いと思いながら県庁前に向かった。
佐藤上人様が、8時から4時までの間、座る場所を確認するため先発隊で出かけ、7時に出発した。
県庁前に到着すると、線量計で図った数値の値が非常に高く、地上から1メートルのところで、昨年3日間座らせていただいた神社のところの空間線量が約1,4マイクロシーベルト、それでも少しずらすと数値が変わるので、あくまでも参考程度にしかならない。

コンクリートではなく、地面がむき出しになっているところの方が数値が高いので、よくよく測ってみて、県庁と向かい合うコンクリートの歩道にブルーシートを敷き、マットを置いた。
どうやら、県庁の方々は昨年の御祈念の事を覚えているようで、県庁前で警備をしている男性からも、非常に親切にしていただいて、こちらからの要望書も、どこに持って行ったらいいかアドバイスをして下さったので、秘書課と記者クラブにチラシを持っていくことにすると、担当外の男性がこれまた親切にして下さって、丁寧に応対して下さった。

放射線量が高い。それでも変わらず暮らしている福島の方々。公園が立ち入り禁止になっていたので、ホットスポットだからかと思っていたら、地震の後の工事が終わったばかりだったからとのお答えに少し安心しながらも、この職員の方も、先ほどの親切にして下さった警備のおじさんにも家庭があり、一見何もないようで、実は命の危険に曝され続けている状態であることが、何ともやりきれない。

地元新聞の記者の方がさっそく取材に来て、代表である佐藤上人様が応対した。
その後、「写真を撮らせてほしい」という男性が来られ、聞くと浪江から避難してきているとのことで、本日のお断食の終了後に、お話を聞かせて頂けることになった。

無事にお断食も終わり、通りを行く方々の視線も感じながら、それでも今迄のような冷ややかなものではなく、どこかそれぞれの思いのこもったまなざしの様だった。

本法寺様に戻ると、先ほど声をかけて頂いた方々が来て下さり、今回の事故の事や、現在の状況など、詳しく聞かせて頂くことが出来た。

○  仮設は、冬寒くて夏は暑く、常にうるさい。
○  現実問題、被ばく者として他県の人との婚約が破棄されるケースが増えてきている。
福島県外に嫁にいけない。
○  東電からの、被災者を無視した保障金の手続きを行うために、郵便局が混雑している。
○  福島から逃げたくても、逃げた先に生活の保障がないから避難なんてできない。
○  「除染」と簡単に言うけれど、除染など出来るわけがない。ただ洗い流しただけで、存在としては残り続 けるものだから。
○  日本は核兵器の初の被爆国だけれど、この度の低線量、長期被ばくも世界初の事例であるので福島県民がモルモットにされている。
○  原爆と原発の放射能汚染のされ方は、基本的に違い、原爆はあくまでも兵器として人を殺す目的で作られたため、人は殺しても戦後すぐにその土地が使えるように開発されているので、今回の原発事故での放射能汚染と   は放射性物質の出方が違う。
○  もともと自然界に放射性物質は存在しているけれど、それを長い年月で体内に蓄積しないように対応できるようになったのが今の人間の体で、セシウムは自然界に存在しないものだし、人工的に作られた放射性物質だから、人間の体を蝕むのは当然。

などなど、今まさに、現場で苦しんでいる方々の声を聞かせて頂くと、脱原発、というよりは、いま、フクシマの子供たちがどうしたら被ばくしないで済むか・・・。ということ
の方が切実だというお話を聞いて、さらなる温度差を感じて愕然となる。

街の至る所で。「頑張ろう福島!」、「負けねえぞ福島!」などと看板を見る機会も多々あるけれど、現実を見たら、やはり。「頑張れない」現実がある。

子供たちの将来を考えれば考えるほど、今日もチラシを配ると嬉しそうに興味を持って喜んで受け取ってくれる姿を見れば見るほど、一日も早い、本当に必要なケアをしなければならない

いたずらに怖がることではないけれど、情報も乏しく、何をどうしていいかわからないまま時間が過ぎて、やがて見て見ぬふりや、なかったことにしてしまうことだけは避けなければならない。

皆、一様に憤りを感じているのは、本当に責任を取らなければならないものが何の責任も取らず、苦しまなくてもいいものがすべての負担を強いられていること。


考えれば考えるほど、苛立ちが募る・・・。


それこそ、苛立ちに「負けねえぞ」。


本当にたくさんの人たちの、犠牲や悲しみや苦しみを思えば、大したことはないから。
南無妙法蓮華経 合掌

昨夜降っていた雪もやんで、青空が見える穏やかな朝。

ご近所にお住まいで信徒代表?で教会の管理をされている柳沼さんが朝早くからお味噌汁を持って来て下さり、一緒にお勤めと朝食を頂く。昨夜信徒の皆さんが持ち寄ってくださったおかずや、果物で豪華な朝ごはん。
柳沼さんは以前、山登りをされていて疲れているときのエネルギー補強にいいと、一人に一本づつ、練乳を持って来てくれた。この練乳、消化も良く、栄養もあるらしく、あるお上人さんは夕方にはほぼ一本空けていた。

今日は朝の時間がゆっくり取れ、8時に出発。
柳沼さんも2時間ほど一緒に歩いて下さり、昨日私たちを教会で迎えて下さった天台宗の御住職さんの寺院や、おにぎりを作ってくださった信徒の方々のお家にもごあいさつに寄ることが出来た。
途中、アマチュアの写真家の方が私たちを撮りながらついてこられ、休憩の際にお話し、名刺交換。作品が出来たら送って下さると言ってくれた。楽しみ。

福島に入ってから、合掌して下さる方が多いように感じる。
あとは他の県とは何も変わらない景色。
子供を見かけると、「マスクしてないけど大丈夫なのだろうか」「この子の将来は…」などと考えてしまう。

だんだん冷たい風が強くなり、体が冷えてきた。
お昼はコンビニ近くの地下道の中で、風を避けて今朝作った玄米おにぎり頂く。
お上人さんの一人が、インスタントのスープをご供養して下さり、体の中が温まった。

福島県庁前で一度明日のお断食の下見。
昨年の3日間のお断食は県庁横の神社に許可を頂き、させてもらったが、今回その場所は工事中。
県庁前の公園は昨年と変わらず、「危険なため立ち入り禁止」のまま。
歩行の邪魔にならないよう、県庁前の歩道でさせてもらうしかないようだ。

昨年も3日間お世話になったなつかしい本法寺に到着。
その時入院中にも関わらず、会いに来てくださった御住職さんにお会いできるかと思っていたら、再入院されているようで残念。
息子さんであるお上人さんが、前回と変わらす、温かく迎えてくださった。

今夜はカレンが夕食を作ってくれると言ってくれたので、銭湯へ行くみんなと別れて買い物へ。歩いて行ける距離にCOOPがあるので助かる。今回は荷物が多いので、野菜も毎回使い切るように心がけているため、まったく野菜がなかった。本法寺には今回も3泊させてもらえるので、久しぶりに野菜をたくさん買わせてもらった。福島のスーパーにはほとんど福島産の野菜がない。きちんと信用のおける数値が出れば、消費者は年齢や価値観によって選ぶことができると思う。けれど、食物の計測は細かく切るか、おおざっぱに切るかでも数値が変わり、時間をかけるかどうか、計測する方の技術によっても、高くも低くもなると聞く。このジレンマは解決するときがくるのだろうか。しかし広島での原爆後ずっと被ばく患者を診てこられた95歳の肥田先生のおっしゃられるように「団らんの中で楽しく食事をすることが大事」だとも思う。

カレンが作ってくれたお野菜たっぷりのビーフンをみんなで楽しく頂く。
それから用事で昼間東京に出かけていた三浦お上人さんが21時前に夜食のお土産を持って帰って来てくれ、またみんなで集まり温かい飲み物と共に頂いた。
明日は福島県庁前で1日お断食。
お天気は昨年のような連日の雨ではなさそう。
デモでも、抗議の行動でもない「断食ご祈念」を何事もなく有難く受け取ってもらえたらと願う。

合掌 三拝
矢向
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