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南無妙法蓮華経

命の行進は、8月6日広島到着をもちまして、終結することとなりました。

思えば、残雪の残る立春の日から歩き始め、雨の日も雪の日も、山を越え、川を渡り、
「後から続いてくる未来の子供達の為に」なんとか全原発を廃炉にしたいという一心で歩みを進めてまいりました

6ヶ月という長い間、行進団に、一人の病人も怪我人も出なかったことは、まさに諸天善神、仏様、御祖師様、お師匠様のお加護の賜物と拝察申し上げます。

三浦上人、泉上人、矢向庵主さんに支えられ、年寄りは年寄りなりに、病人は病人なりに、行進者の一人一人が大事な役割を担っておりました。

そして道中、数え切れない程沢山の方々に、ありとあらゆる方面で、支えられ、助けられました。
此の方々の支援なくして、到底「命の行進」を成就することは叶わなかった事でしょう。
深く感謝申し上げます。

行進する者、支援して下さる者、それに関わる全ての人々の真摯な思い、そして、声なき声がお題目様の祈りを中心に、この「命の行進」を形作っていったものと思われます。

全国に広がる54基の原発が立地する場所は全て、古来より仏陀神明の住み給う御霊地でありました。
人々が天を仰ぎ、神々を畏れ、大自然に畏敬の念を抱き、大事に大事に護ってきたきた土地でありました。
しかるに物質科学文明の発達とともに、人間の精神的荒廃は著しきものとなり、正義心は失われ、命より経済が重んじられ, 科学万能の極みと崇められ、その象徴として、
わざわざ聖地を塗りつぶすが如くに建てられてきたものが原子力発電所でありました。

しかし、ひとたびその皮が捲られれば、「人類絶滅、文明聡破戒さえ想像さるる恐怖と罪悪」の象徴以外の何物でもないことが、火を見るより明らかになりました。

故に、日本全国に広がる原発全ての廃炉解体するという作業は、人類絶滅の恐怖と罪悪を排除するのみならず、
地中深く埋もれてしまった日本人の慈悲深き精神性を発掘する作業でもあります。
言い換えれば、人間が各々の心の中に精神的支柱を建立していく作業こそ、
今後の原発解体の直接的実践行動になっていくものと思われます。

藤井日達聖人曰く、
「口に妙法を唱えるのは、永遠不滅の生命を目指す人間の精神的希望であります。
地上の人間が明日をも待たず皆悉く死せる者と変わり果てねばならぬ運命の脅威が、南極、北極、
大気圏外までも充満しております。しかもこの脅威を排除する道は、科学にも政治にも経済にも武力にも、
近代文明の何処にも見出されません。
只人々の一心の転変、目に見えぬ各々の精神の建て直しより他に何の方便もありません。」
 
また曰く、
「彼の自然に茂れる一樹の木陰に往き、路傍に生じたる幾茎の草を取って褥となして、その上に打座し、
ひたすら大慈無量心、大悲無量心の成就せん事を心にかけて、大法の鼓を撃つべきである。
至極の機会文明の弊害を救うものは、又至極の自然生活、原始生活の中にある。
此の大法の妙音は、一切の魔軍を降伏し、一切衆生を老病死の海、別しては原水爆の横難横死から
度脱せしむるであろうと、法華経には分明に記されてある。」

今年の「命の行進」は終了いたしましたが、来年も又引き続き、只只、大法の鼓を撃ち鳴らし、
南無妙法蓮華経とばかり唱え、日本全国を行脚して参る所存でおります。
今後共どうか宜しくお願い申し上げます。

 合掌三拝     佐藤達馬拝



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7月24日   

南無妙法蓮華経

23日には、阿蘇道場にお参りさせて頂き、行徳上人様と坂本庵主様、ご信者様に温かくお迎え頂き、心の籠った昼食をご供養して頂いた。

お師匠様のご廟所をお参りさせて頂き、お寺から町並みを眺めてみると、先日の集中豪雨の爪痕が、山肌に幾筋も刻まれていて、丸太が流されて溜まっていたり、川の堤防が崩されていたりで、地震に限らない、自然の力の物凄さを実感させられた。

美味しい食事を頂戴して、ゆっくりさせていただいた後、車で移動して別府道場に向かった。

こちらでは酒迎上人様にお迎え頂き、ご信者様方に準備していただいた食事を有難くみんなで頂戴した。

鹿児島から大分に移動して、九州の皆さんのお人柄に触れて、大らかさや心の温かさに大いに励まされた。

行進団にもアメリカからお二人参加して下さっていて、お一人はベトナム戦争に参加され、退役した後に平和活動家として活動されているジュールさん。74歳の今も、元気に行進して下さっている。

もう御一方は、クリスチャンさんと仰る35歳の男性。綺麗な日本語をお話になるので、コミュニケーションがとりやすい方で、ニューヨークから来られている。

県庁や市役所など、行政機関にお邪魔するとき、アメリカの原発事情をお話しいただくのだけれど、カナダとアメリカの国境近くにオンタリオ湖という湖があって、そこにアメリカの原発が集中していて、ウラン発掘精製から始まって、5つの原発と13の原子炉、再処理工場、廃棄物処理場と核に関するすべてが集まっている。

ネイティブアメリカンの方々が住むこの土地には、各原子力施設とともに、ガン、白血病の発生率が非常に高く、アメリカの社会問題がすべてと言っていいほど集約されている。

この場所で採掘されたウラニウムが広島長崎に投下された原爆に使用されたという。

ネイティブアメリカンに「セブンジェネレーション」という言葉があって、何か物事を起こす時に、7代先の子孫のことまで考える考え方があるので、ぜひこれからの日本の原発問題にも生かしてもらいたいというメッセージを持ってきて下さった。

行政機関に働きかけに行くとき、我々日本人の話はそれなりに聞いてくれるけれど、ネパールの御出家のころからそうだったけれど、今回もアメリカのお二人の話は興味深く聞いていただける。

カレンさんは初めから、片言の日本語で原発が危険なことを話して下さっているので、どんなにつっけんどんな役所でも、一瞬「おっ?」という顔になって聞いて下さるので有難かった(笑)。

本日は、2時40分に臼杵港からフェリーに乗り、愛媛県八幡浜まで移動した。

ゆっくりと船での移動を楽しみ、酒迎上人様から御紹介のあった、「伊方原発から子供を守る女たちの会」の斎間さん、藤原さんにお迎え頂き、神宮通り福祉会館へと歩いた。

地元の銭湯にいき、汗を流してからご供養頂いたカレーを美味しくいただいた後、先ほどの「伊方原発から子供を守る女たちの会」の方々と交流会となった。

愛媛には被差別地区があって、そこを狙って建設が計画されてきたそうで、現金収入のない人に、賃金とともに危険な仕事を押し付けてきた事実を聞かせていただき、子供たちの為と思って反対活動をしているのに、学校でほかの子供たちから、ビラ配りをしていた姿を見られて、子供たち同士の中でいじめが始まることが多い、とのことだった。

数々貴重なお話を伺ったけれど、一番印象的言葉は、「金は一代  命は末代」という言葉だった。
母親であり、命を生み出す存在である女性の強さが、長年の反対活動も源なのだと思い知った。


南無妙法蓮華経
東松江駅まで車移動で、7時に出発。

今日の行程の中では、9時半に松江市役所、続いて島根県庁の2か所に寄り、請願書を読み上げ、手渡してきた。

島根県の宿泊先や、警察への届け出などを面倒を見て下さった方により、新聞社はもちろん、今日はNHKテレビの取材が市役所であり、市の担当の方とのやり取りや、佐藤上人様のインタビューなどがテレビのローカルニュースで流れていたそうで、道を歩いていて、「テレビで見たよ!。」などと声をかけていただくことも多くて、改めてテレビの威力を思い知った。

市役所の担当の方も、心なしか緊張しているように見えた。

地元の方も参加して下さったので、13,4人の行進者にプラス10人ほどで総勢20人以上の方が市役所の1室で対応を受けた。

申し入れの後、インタビューの時間などもあって、けっこう時間がかかり、その後少し離れている県庁に移動して、申し入れをした。

ここでも地元の新聞社が取材に来て、脱原発に対する関心の高さが感じられた。

県庁の方が対応も硬く、鳴り物はやめてくれ、ということとともに、お題目なども、建物の中では唱えないで欲しいというので、その理由が何か確認はしなかったけれど、意味がよくわからないので、今度一度聞いてみたい。

中に通していただき、請願書を読み上げた後、申し入れをした時には担当の方も割とほぐれてきて、穏やかに話し合うことが出来た。

話の最後でいつものように、島根県で自慢できるものは何かを尋ねると、安来市役所の時のように、「人の好さ」とお答え下さったことが、何とも言えず嬉しかった。

人情や、思いやりの心を持っていることを誇れることがとても素晴らしく、感動した。

その時は・・・。

しかし、今よく考えてみると、目先のことに関しては「国策だから」「みんなの為だから」良かれと思って原発を受け入れたことが、現状を招いている。今、この時、原発からの脱却を願う人の思いを受け入れて、県民の命や安心を率先して守る県庁であってほしいと思う。

人のことを信じることが出来る人がいることで、そんな人がどんどん増えることで希望を繋げて行きたい。

すぐ近くの松江城のお堀のあたりで昼食休憩をして、その後島根原発まで晴れ渡る空の下を歩いた。

山道を登るような道の途中には、温水プールなどの近代的な施設が立ち並び、原発のすぐ近くには野球場があったけれど、平日で利用者がいないということもあるけれど、野球場の敷地の中にカラスが沢山いて、奇妙な光景だった。

正面ゲートからは原発の建物などは一切見えず、山の向こう側となっていて、警備員の厳重な監視の中、進めるところまで前に進み、そこでいつものようにお題目とお経をお唱えしていると、警備員の方の中から一人、こちらに進み出て来て、「(唱えるのを)やめて下さい。」と言ってきた。

力強くお唱えしていたせいか、威嚇されていると思ったのかも知れないけれど、警備員の方はやって来たけれどこちらに目を合わせることもなく、何度か同じことを言って、こちらが終わるのを待つことなく、そのまま下がっていった。

明日座る場所を確認して、その後に、正面ゲートよりさらに上にあるPRセンターに行くと、そこから島根原発が一望できた。

原発に付き物の、二本の煙突がニョキっと立っているけれど、それがPRセンターのあるこの場所よりも低いので、現在稼働はしていないものの、海からの風を受けて見下ろしている我々は、モロに放射性物質を含んだ風を受けることになる。

2人のお孫さんを連れたお爺さんと会って、挨拶を交わしたけれど、その方はPRセンターに入って行った。見晴らしもいいし、きれいな建物だということで、孫を喜ばせようと思ってきたのかもしれないのに、良かれと思ったことが仇になるかもしれない、というところが、複雑になっている日本社会の底意地の悪さのように思えてしまう。

そこから車移動で、今日の宿泊先のビジネスホテルに向かった。

2日間お世話になるこのホテルは、今回ご協力いただいている方のご尽力で、ご供養していただいた。

皆さんのお心遣いに、少しでも報いることが出来るように、なお一層真剣に祈り続けなければ・・・。

ここで矢向庵主様のご両親とお別れした。今日一日一緒に歩いて下さり、陰になり日向になりお世話をして下さってとても有難かったけれど、最後にお母さんが庵主様を抱きしめて、涙ぐんでいる姿が、自分を顧みずに祈り歩いている娘を、しっかりと認めながらも、心から心配している深い愛情が伝わってきて、改めて両親の有難さを実感させて頂いた。

夜は、この度ご縁を頂いた、大本教の方々との交流会があり、お食事を頂きながらお一人お一人のお話をお聞きした。皆さんに共通しているのが、とても穏やかなお顔をされているので、とても印象的だった。

関西電力の株主総会に行かれた方のお話も聞くことが出来たり、現状を何とかしたいと思いながらも何をどうしたらいいかわからないという意見もあったり、それでも、こうして国内すべての原発を祈り歩いているという我々を、応援して下さっている気持ちが伝わってきて、こうしてお招きいただくことが出来て有難かった。

明日のお断食にも何人か来ていただけるようで、「祈り」というところで繋がることが出来て有難い。


南無妙法蓮華経
島根原発断食祈念
ホテルを7時に出発、島根原発に向かった。
中国電力の敷地内には入れないので、ギリギリのところで、人通りの邪魔にならないようにしながら、ブルーシートを敷きお題目をお唱えし始めた。

車の通りも多く、地元の方や、近くの施設に向かうお年寄りを乗せた車も通るけれど、もちろん一番多いのは原発に向かう、あるいは原発から出てくる車。

その中でも、車の中から合掌して下さる方もいて、どんな態度の方が来ても、ニコニコと穏やかな顔でお題目をお唱えしたいと思いながら、梅雨のさなかとは思えない青空の下、気持ちのいい風が吹く中の唱題行となった。

今まで15か所、各県の原発を回って来たけれど、大体に言えることは、建物の色が水色だったりで、一般的な工場の、赤白の煙突のような激しさがない、穏やかな感じが醸し出されていること。


どんな田舎の町でも、恐ろしく近代的な建物が立ち並び、無機質な感じか、あるいは木のぬくもりを演出してはいるけれど、それでも、いかにもお金がかかっている、というような建物がより多い。

冷却するために、海のそばが絶対条件だけれども、原発がなかったころは、こぶしほどもある大きなサザエやアワビが取り放題で、どんぶりで食べていたというお話をよく聞いたし、魚も豊富でたくさん取れたために、干物や練り物をはじめとする加工品が名産品となって来たのに、今では海が汚染され魚もいなくなり、もし、いたとしても地元の人々は食べないし、また格好の漁場も原発の敷地となって入ることが出来ない。

それでも名産品として名前は残っているから、地元のものではなく他から運んできたものをその場所で加工することでかろうじて形をとどめている。

先日頂いた「サバの浜焼き」はなんと!ノルウェー産のサバだった・・・。

時代はいま、食量自給率を上げることとともに、地産地消を推進しているけれど、原発がある限り、まったくもって逆方向に向かわざるを得ない。

面白いほど基本的な人間生活と相いれない原子力。

それでも再稼働に向けて躍起になり、いずれは再生可能エネルギーへ・・・と言いながらも、それがいつかも明確にせず、原発に依存しようとして、国民の命をまるで守ろうとしない国の役人。

放射能の脅威は推進派も反対派も関係なく、身体に影響が出てくること。

お互い様ならば、もっとお互いを大事に思っていく生き方の方がいいと思う。

命あっての経済なのに、どこかすっぽり肝心なところが抜けてしまっている。
もう遅い、のか

まだ、間に合う、のか・・・。


結果はどうあれ、やっぱり最後まで、諦めないで行きましょう。
2012.07.20 7月17日
南無妙法蓮華経

今日の行進は芦北町から水俣市まで
新水俣駅での昼食休憩では、地元で長年に渡り脱原発運動をされている岩崎さんが、おにぎりなど差し入れを持って来て下さりました。
昼食後、水俣市役所へ表敬訪問、「原発0を目指す市民の会」のメンバーなど12名もの方々が行進団を迎えて下さいました。
市民の方々も加えて全員で、宮本市長に面会。
宮本市長は前市長の産業廃棄物処理場の誘致に反対の声を挙げた市民運動に推されて、市長選に出馬、当選され、産廃処理場の建設を阻止したという市長で環境問題に熱心に取り組まれておられ、「脱原発を目指す首長会議」にも参加されていて、「脱原発に力を尽くす」との力強い発言をされました・

市役所からは今晩お世話になる、ミカン加工場ガイア水俣の高倉さんの案内で、水俣湾の埋め立て地へ。
水俣病を起こしたチッソの正門前を通り、水銀などを含む排水を垂れ流していた「百間排水溝」を見学、排水溝のそばには解説版と共に慰霊のためのお地蔵さんがあり、水俣病巡礼88か所1番札所と記せられている。88箇所作る予定が、発起人の水俣病患者連盟委員長の川本氏が1番札所を作った後に水俣病で亡くなられた。とお話を伺い、皆でお祈りを捧げました。
排水で汚染された海を埋め立てて作った広大な公園を通り、水俣病患者慰霊碑のある海辺へ。
全員で唱題しながら海に御題目を書いた短冊を流し、読経、慰霊碑をお参りし、公園で高倉さんから水俣病の話をしていただいた。

合掌  大西

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